高速道路は狂気の所業だ

結婚する気がないとか、友達を作る気がないとか、家から一歩も出たくないとか、どんなやりがいがあっても仕事はしたくないとか、何もかも捨てて単身チベットへ渡って僧侶になりたいとか、40歳で早期退職して残りは年金と運用資産と貯蓄で生きていきたいとか、年金受給年齢と定年が引きあがるならいっそその前に死にたいとか、実際行動するかどうかはともかくそういう人間です俺は。しかし、そのようなふざけた未熟な人生観を持ちながらも、かろうじて社会に参画できるだけの能力は残っているので、このように社会人の末席を汚している。末も末、ちょっと後ろをみたら深淵が広がっているような端っこでも、一応きちんと働いている。すると、職場の人々はみな家庭を持ち子どもを育て家を建てあるいは孫までいるような人しかいない。残念ながら多少の処世術を心得ているし空気もまあまあ読めるので、なるべく浮かないように普通のふりをして生きている。ふりができているなら自分で思うより普通の人間なのかもしれないが、それでもそれとなく頑張っていないとずれて行ってしまう気がする。職場の人にいやあ自分結婚なんて全然いいですよ~なんて言ってしまうと「そういう人間」として扱われて仕事がしづらいと思う。いい大人なのだからそんなことで変な顔はしないかもしれないが、田舎なのでするかもしれない。仕事はなるべく楽にしたいのでそれはよくない。自分が異常者だとか言いたいみたいで恥ずかしいけれども、異常者は会社勤めなどできない。異常者だと書き方が悪ければ社会不適合者でもなんでもいい。いっそ本当に働けないなら胸を張ってそういう人間だと生きていける(そういう人は胸を張って生きてください)けれども、実際働いているし内心はともかくうわべは馴染んでいるし、誰にも理解されない。ズレた価値観を持っているくせに真っ当な世界の端っこにしがみついていて常に息苦しい。誰かに理解されたいわけじゃなく、理解されても何も変わらないので、ただこう、自分のマイルストーンとしてここに書く。もしかしたら何かに躓いて婚活に邁進し交友関係を広げ仕事に打ち込み子どもを育て家を建て孫に囲まれることになるかもしれない。ないと思うがわからない。そうなったときに自分でここを読もう。お前は俺だぞ、と。

 

久しぶりに高速道路に乗った。端的に言って、狂っている。自分はよく一人で車に乗っていると頭がおかしくなり大声で歌を歌ったり叫んだりするので狂っているかもしれないが、高速道路でそういうことをやると死ぬかもしれない。どう考えてもおかしい。ちょっと腕を右か左に振ればそこには死がある。こんなものを大勢の人が平気な顔で利用している。たまに死んでる。大丈夫なのか。幸い今回は横に上司が乗っていたので叫んだり歌ったりしなかったが、というか一人でもさすがに高速で叫んだり歌ったりはしないが、とにかく狂気じみている。重さ1トンの物体が時速100キロで運動している。数学の文章題かよ。横に上司が乗っているのもそれはそれで緊張してしまい、緊張の二乗で異様にのどが渇いた。仕事したくない。

やる気がないので帰ります

こういうのを読みました。

 

blog.tinect.jp

3行でまとめると
・強制や丁寧すぎる指導では人は成長しない
自主性を促し疑問を持つ力をつけさせるのが最良の師
・『BAMBOO BLADE』はおもしろい

ということらしいです。
この記事自体は別に剣道の話ではないんですが、ぼくが剣道には並々ならぬ因縁があることは既にご存じの方も多いと思います。今まで2回だけ、マジ顔で死にたいと思ったことがあるんですが、そのうちの1回が剣道によるものでした。剣道場から帰宅して、家族が家に入った後もひとり車から降りずに泣き続けていた小5だか小6の夜。別にその日何があったわけではなくいつも通りの稽古だったんですが、とにかく毎日嫌で嫌で、ついに何がが切れてしまったんでしょうね。辞めたいと言っても辞めさせてもらえず、あれこそまさに強制以外の何物でもなく、なるほどぼくが人として微塵も成長できなかったのも納得です。すみません、責任転嫁しました。

剣道はどうでもいいとして、指導方法として自主性を重んじることが有効なのは理屈としても実感としても理解できます。その例として挙げられているのが『BAMBOO BLADE』の顧問や植芝盛平なわけです。漫画はフィクションですが、植芝さんは実際に偉大な実績を残しているので、やはり効果は実証されていると言っていいでしょう。
ただ、自主性の欠片もないマンことぼくはどうしても引っ掛かりを覚えてしまいました。別にこの話にケチを付けたいとか否定したいとかではないんですが、ちょっと屁理屈を思いついてしまって。もっと根本からダメな人間(たとえばぼく)に対して、その方法論は効くのだろうかと。何かやり方があるのか、それともダメな奴はどんな師についてもダメなままなのか。

“自分で疑問を作り、それに対して自主的に試行錯誤できるようになると人は物事に熱中できるようになる。こうなれて初めて人は師を越えて成長できるようになる。”

と書いてあります。だとすれば何事もまず疑問が先に立つものであり、成長の根本は本人が疑問を持てるか否かにかかってきます。その疑問を持たせることが上手い人物として合気道植芝盛平が出てくるわけですが、紹介されている彼のやり方を見る限り、ぼくは「そんなんで自主的になるか?」と思いました。少なくともぼくはおそらくならない。いや、実際は弟子が何人も大成しているんですが。
ここでの違和感の原因はおそらく、「元々やる気のある人々をどこまで伸ばせるか」という話であるのに、ぼくは「やる気をどう伸ばすか」と読み違えていたからだと思われます。植芝道場(多分そんな名前ではない)の門下生は前提として自ら進んで合気道を志すやる気満々な人々であるわけで、ハナからやる気のない奴は辞めてるんですよね。ぼくはやる気ないのに辞められなかったんですけど。あ、だから勘違いしたのかなるほどー。

無職時代、小遣い稼ぎに半年ほど塾講師をしてまして、固定の担当としては受験期の中学3年生を3人教えていました。自分でいうのもアレなんですが教えるのは割と得意で、ここでいう疑問を持たせて自主性を云々みたいなのも素人なりに考えて教えていたつもりです。
3人のうち2人はまあ普通の子という印象でしたが、彼らなりに一生懸命に聞いてくれて、そこそこ良い学校に第一志望で合格しました。本人の理解力や思考力も大事ですが、ちゃんとレスポンスしてくれるのがよかった。ただ、もう1人の子がやっかいで、初めて会った時点(中3夏)でbe動詞も怪しいくらいで、大変苦労しました。結果から言うと偏差値40くらいの公立に落ちて私立に行ったそうです。都会と違って田舎では私立高校=誰でも入れる滑り止め扱いなのです。
その子は、なんていうか地頭の差も確かにあったんですが、それよりもなんか常に眠そうで反応も薄くてやる気が感じられないのがどうしようもなくて。ぼく自身も偉そうなことが言えるほど勉強が好きなわけじゃないので、どう声を掛けたらいいものかと悩みました。まあ、週に3時間しか顔を見ない一介のアルバイトにどうこうできるならとっくに解決してるって話なんですが。

「やる気のない奴にどうやる気を出させるか」っていうのは教育の場ではどうやって対処しているんでしょうか。剣道やら合気道やらは、そもそもやる気が無ければやらなくていいモノなので、そういう問題は発生しないはずです。最近、部活動で「やる気が無いなら帰れ」系の指導が問題になったりしてますが。あれも大概クソですよね。元々やる気がある子ならあれで奮起するんでしょうかね。部活も(建前は)任意なのでやる気が出ないならやらなくていいとぼくは思うんですが、勉強はやる気が無くてもやらなくちゃいけない、のでしょうか。一応そういうことになってます。
それとも、我々が固定観念にとらわれているだけで、勉強すらもやる気が無ければやらなくていいものなんでしょうか。学校の勉強を一切せず大成した人物もいるにはいます。なにもかも本人の自主に任せ何をすべきか何を為すべきか決めさせるのが健全な社会形態なんでしょうか。

何が言いたいのかと言うと、どんなことでも根源に本人の内側から湧き出る「何か」があって初めて、何事かを為し、何事かを成せるとするなら、それって指導や教育ではどうしようもないのではないか。ぼくはその「何か」を便宜的にやる気と呼んでますけど、熱意とか意欲とか言い換えてもまあいいでしょう。とにかく芯のある何かです。少なくとも、師匠や教師や先達にできることはまず、やる気という器がある前提で、そこに苗を植え大きく育てることです。とりあえずそれをより大きく育てられるのが良い教師と言ってよいでしょう。器の種類は人によって様々でしょうから、合気道や剣道にそれがなくとも、悲観することはない。勉強にないと今のご時世非常に苦労すると思いますが、それでもワンチャン道はあるかもしれない。ですが、じゃあ一体何の器を持っているのでしょうね。
be動詞を知らなかった彼も、何か他にそのやる気という器を持っているんでしょうか。それはどうやって見つけるんでしょうか?持って生まれたものなのか、あとから増やすこともできるのか?どうやって?もしひとつもなかったら?
それはきっと誰も教えてはくれないのでしょう。

よくわかるネトスト入門

やあ、こんにちは。みんなもSNSのアカウントをひとつくらいは持っているよね。今日はそんなインターネット上に吐き散らかした半匿名情報から、様々なことを特定するネットストーカーの基礎を紹介するよ!

1.長期的追跡
ある人物に関する情報(各種個人情報、裏アカウント、行動範囲、勤務先、学校などなど)を特定するとき、最も単純かつ重要なことは時間をかけることだよ。フォローしてからの時間が長ければ長いほど、より多くより重要な当該人物の手掛かりを得ることが出来るよ。一見特定にはつながらないような日々の些細なつぶやきであっても、性格、価値観、文体、など一言では言い表せない微妙な特徴を掴むためにはとても有用なんだ。あるいはその間に直接交流をもつこともできるかもしれないね。本人から語られる何気ない言葉は、対話ゆえにガードがゆるくなりがち。何事も日々の積み重ねが大事なんだね。

2.多角的な視点
ある一つの情報から直接何かを特定できるのはレアケースと考えるべき。多くの場合、複数の情報や要素を組み合わせて初めて、何らかの事実に到達することが出来るよ。集めた情報をどのように組み合わせて考えるかが腕の見せ所だね。

3.画像
インターネット上にアップロードされる様々な画像は情報の宝庫。特に自ら撮影したと思われる写真は重要!Exif情報は鉄板だね。でもそこまではできないよ~っていう初心者さんも大丈夫。画像自体からも様々なことを読み取れるんだ。ガラス面の反射から性別や容姿、ランドマークから大まかな位置、道具や制服から職業、などなど何気ない一枚に重大な情報が秘められているかもしれないよ。また、写真以外にもアイコンに選択するイラスト等の傾向も要チェック。サブアカウントや他サービスとなんらかの共通点がみられるケースがあるよ。本人がイラストなどを制作している場合は、その作風も覚えておこう。

4.ユーザーID、スクリーンネーム
複数のアカウントやサービスを利用する場合、IDを共通ないしは似た系統のものにする人がいるよ。Twitterアカウントしか知らないあの人も、実は同じIDでインスタグラムをやっているかも!情報の入手源は多ければ多いほど良いんだ。

5.検索技術
断片的な情報だけでも、検索エンジンの力を借りることで決定的な情報につながることも。複数のキーワードの組み合わせを試したり、検索予測を参照したり、効果的な検索方法を身に付けよう。これはネットストーキングのみならず、昨今のネット社会を生き抜くうえでマストなスキルだよ!

6.直感
自ら個人情報を開示している馬鹿者相手でないかぎり、どうしても特定行為の最後は直感に頼らざるを得ないよ。ネット上に存在する細切れの情報を繋ぎ合わせて、答えに辿り着いたと思っても、それが100%正解であると断言できるケースは多くないんだ。そんなとき、直感でこの人だ!と感じられる瞬間、それこそがネットストーキングの醍醐味なんだね。その助けになるのが、1.で述べたような雰囲気や文体といった曖昧なエッセンス。どんなアカウントであっても、その向こうには自分と同じ生身の人間がいることを忘れないでね。その「存在」の息遣いを感じ取ることが、最後の直観を後押しするんだ。

おわりに
どうだったかな?ここで述べたことはまだまだ初歩の初歩だけど、これで君も立派なネットストーカーに近づけたはずだ。言うまでもないとは思うけど、この文章はストーカー行為を推奨するものでは全くなく、どのような形であれ他者への迷惑行為は絶対に認められないということを強調しておくね。6.で述べたように、ネットの向こうにいるのはBotじゃなくて人だっていうことを心に留めてインターネットしようね。ここに紹介したことを参考に、自分が知られたくない情報を不用意に漏らしていないか顧みるのもいいかもしれないよ。ぼくも隠されたサブアカウントを見つけて悦に入ったり打ち棄てられた過去のブログを見つけてほくそ笑んだりするけれど、それらの情報を開示すること、あるいはそれらの情報を用いて何らかの行動を起こすことは一切ないと申し述べておくね。それだけでもキモイやめろ迷惑だと言われるとごめんなさいとしか言いようがないのでこの場を借りてお詫び致します。申し訳ありません。今後はほどほどにしとくね。

科学の子ども

togetter.com

www.nhk.or.jp

 

夏休み子ども科学電話相談というNHKラジオの番組が面白いです。夏休み中の子どもたちが抱く科学っぽい感じの素朴な質問疑問に、立派な先生方が答えていくという毎年恒例ほのぼのラジオ。いかんせん平日の午前中なのでなかなか聴けないんですけど。このためにわざと午前中に外出する仕事を探してます。Togetterのまとめを読むだけで既に面白い。いちおう公式サイトで抜粋アーカイヴも聴けます。あとNHKラジオのサイトで聞き逃し番組を聞けるページもあるみたいです。

子どもが好きなわけではないですけど、聴いてたら本当に可愛いな~って思います。こういうところに電話かけてる時点で、好奇心旺盛で賢い子なんですよね。よくわかんなくて生返事になってる子も多いですけど。それも可愛い。先生がいかにお子さんの語彙力に合わせた説明を繰り出すかも聴きどころのひとつです。硬い声の「ハイ」が納得したり理解した拍子に気が緩んで「うん」になったり、急に生気をとりもどして「ええっ」ってなるの、かわいい。逆にガチ勢のおともだちもけっこういて、先生のほうが「よく知ってるね!(興奮)」つってテンションあがってるのもまた可愛いですね。たかがガキの考えることと馬鹿にするなかれ「AIは善と悪を判断できますか」とか「動物に感情はあるのか」みたいな深淵っぽい質問も飛び出し、リスナーのおおきいおともだちを唸らせることもしばしば。知らない知識がたくさん出てきて楽しいです。

こういう科学のお話は埃被った脳みその奥の方に火が付く感覚になります。湿気ているのですぐ鎮火しちゃうんですけど。まだまだ脳みそがピチピチ(古語)なお子様たちは、なんでだろうと思う気持ちを忘れず、火を絶やさず成長してほしい。番組内で先生方も言ってましたが、「どうしてだろう」って思う気持ちってすごく大切で、科学にかぎらず自分で考える力になるんですよね。「サメ博士になりたい」と言った男の子、そして嬉しそうに「待ってるよ」とこたえた先生のやり取りが印象的でした。この番組のおともだちの中から将来大発見をする科学者が出てきたら良いですね。

近況

こんにちは、南條愛乃です。
嘘です。すみません。

元気ですか。最近睡眠の質が激落ちている気がする。暑いからか。
以前ベースを買ったと書いたが、小型のアンプも買った。防音設備は一切ない。小さいのでマスタボリュームを落とせば大丈夫でそ。せっかく買ったのにまたもちょこっと触って満足してしまう。いくらしたと思ってんだこのハゲ。
それというのも去る6月20日、待望のFINAL FANTASYⅩⅣ第二弾拡張ディスク『紅蓮のリベレーター』が発売されたのが悪い。楽しく遊ばせて頂いております吉田神よアーメン。ゲーム全体としては満足の一言。待った甲斐があったというもの。ただジョブ調整は相変わらず下手だなーと思う。もうちょっとだけ召喚士どうにかして。ちょっとでいいから。おねがい。
FF14といえば、人気ロックバンドGLAYのメンバーTERUさんがエオルゼアに爆誕、目を見張る速度でドハマリしていく様子が話題に。わりと早い時期からTwitterではしゃいでるのを眺めていたが、楽しそうでなにより。見ているこっちがにこにこしてしまう。元々ゲームが好きみたいで、初心者にはややつらいと思われるタンクロールでも一生懸命頑張っていてすごい。しかしそれ以上に他のプレイヤーとの交流に楽しみを見出しているっぽい。自分がGLAYのファンではないことが悔やまれる。だって、例えば南條愛乃さんとゲーム内で会話なんかできたら死ぬでしょ。心臓が幸福に耐え切れなくなって死ぬ。南條愛乃さんはキャラ非公開なので万が一偶然ゲーム内で出会っても気付くことすらできないが、GLAYファンはそれが可能なのだ。羨ましすぎるクソ。ゲームの話が増えたことに苦言を呈す愚か者がいたらしいが、ファンなら当然FF14を買いに走るべきところではないのか。
南條愛乃さんといえば、ラジオの公開録音とバースデーアコースティックライブに行った。公開録音では友人の神引きのおかげで前から2列目真ん中とかいう、天国に2番目に近い場所的なアレを手に入れ、危うく心臓が幸福に耐えきれず死ぬかと思った。たぶん目が合ったと思う。粒子とか、そういうの吸ったと思う。バースデーライブは昨年入院により涙をのんだアレ。光る棒も控えめに座って聴くタイプのライブでとても良かった。おじいちゃんなので立ちっぱはそろそろつらい。33歳おめでとうございます。依然として可愛い。生の演奏を聴いてベースのモチベーションがむくむくと湧き上がるも、家に帰ってFFにログインした瞬間に霧散。ゲームたのしいです。ぼくはこんしゅう27さいになります。なんかください。こんごともよろしくおねがいします。おわり。

生きる意味を探さない

anond.hatelabo.jp

 

現時点で、自分の思う理想的な人生設計に限りなく近い。これを実践して生活できている増田氏には感服する。

“生きがいやら人生の目的やらを重視している人が多くて驚いている。
そんなもの持ったこと今まで一度もない。やりたいことをやるよりもやりたくないことをやらない人生の方がずっと素晴らしい。”

この文章にすべてが詰まっている。よくぞ言ってくれたという感じがする。少し修正するなら、生きがいや人生の目的を重視するのはごく自然なことで、そういう人が多いのは驚くに値しない。ただ、この増田氏のような感覚を持つ人も確かに存在しているし、その価値観を他人に馬鹿にされる謂れはない。そういう自由を保障するのが近現代における文明社会というものではないか。

仮に、ぼくが今からこの人を追随するとして、それははたしてどこまで可能か。
一番のネックはやはり原資の確保。40歳の時点で現金1600万の資産を持っているためには、いまから年間100万以上の余剰(+α)が必要になる。給与計算業務の担当なのでだいたい把握しているが、今の会社の給与体系では順調に役職を得たとしても余裕はないと思う。早めに投信や保険の備えを用意するならばなおさら。1600万という数字もこの増田氏がたまたまそうだっただけで根拠はなく、充分とは言えない。準備するなら今よりも節制が必要であろう。まあ、足りなければリタイア時期を後ろにずらせばいいだけの話ではある。
二番目のネックは、完全に自分でどうにかするしかないが感情的な問題。自分はそういうのを完全には無視できない。雑魚なので。自分が40歳になったとき母親は73歳。父はいないし他の親族も頼れるとは言い難い。本人は長生きしたくない、介護は世話をかけない、とは言うものの、いまどき73歳ならまだ存命である可能性は高い。その肉親を置いて一人で「ほなワイは好きにするで~」と言って仕事も辞めてどこかへ行けるものだろうか。別に平気で行けるような気もする。その時になってみないとわからない。
40歳だと順当にいっておそらく課長になっていると思われるが(ライバルがいないので)、弊社のような人数の少ない会社でいきなり課長が「やーめっぴ」などと言いだせば大変困る。超困る。数年前から打診して後釜を用意するのが現実的だしやるならそうするつもりであるが、いずれにしても上司同僚後輩(いれば)にかなり申し訳ないことになる。その退職理由が「リタイアです」とはなかなか言えない。言えるひともいるだろうが、自分の性格ではきっと無理だ。なんとか理由をでっちあげるにしても、あまり気分はよくないことは間違いない。会社に特別不満があるわけではないのでなおさらである。
結論として、不可能ではないがいくつか課題を解決する必要がある、くらいだと思われる。意外と行けそうな気がしてきた。

こういう消極的な人生観を持つに至った理由は簡単には言い表せないし、自分でもよくわかっていないかもしれない。ただ、明らかに一つ後悔しているのは今ほどネガティヴじゃなかった10代の頃、人生計画というものにもう少しでも頭を使っていれば、多少はポジティヴな人間になれたのではないか、ということだ。何事も望む結果を得るためには、行き当たりばったりではよくない。気楽なリタイア生活を得るにしてもそれは同じで、年金、保険、投資、と備えがあってこそ可能になる。であるなら、準備計画は早い方がいいのではないか。
来月で27歳になる。もはや何をどう言い訳してもアラサー。別にアラサーだからって何も悪くないが。アラサーとはいえ、セミリタイアを決意するには若すぎるかもしれない。ぼくは生きがいもないし、やりたいことをやるよりもやりたくないことをやらない人生の方が遥かに好きだが、それが素晴らしいことだとは思っていない。人類全員がこういう生き方をすると寿命がくる前に社会が破綻するに違いないので。だから人生の目的を持って生きる人や、今は持たずともそれを探してもがいている人を尊敬している。
元の増田氏にしても、バツイチだそうなのでかつては人並みに前向きというか、モリモリ頑張っていた時代があったのかもしれない。結婚したということは少なくとも一度は誰かを守ろうとか、なんかそんな感じの「人生の目的」っぽいものが見えそうになったのではないか。結婚観が高校生レベルなのでよくわからない。そういう経験を経てのセミリタイアにはなんだか説得力がある。自分はあらゆる面で年齢に人生経験が伴っていないので、こういう話にはどうしてもちょっと自信がなくなる。
今すぐ決意する必要はない。ないが、せいぜいあと2,3年だと思う。30歳になって今と全く変わらなければ、ほぼ99%死ぬまで価値観が変わることはないだろう。とりあえず30歳までテキトウにゲームして遊んで、ちょっと投資信託の勉強でもしておけばいい。

あの日読んだホビー漫画の名前を僕たちはまだ知らない

大人になると子どもに戻りたいと思う瞬間が多々あります。あるいはそういう感傷から卒業した時こそ真の大人になるのかもしれませんが、とにかくぼくは今もしばしばあります。そんなあの頃、ぼく達が熱狂した漫画のひとつ『爆球連発!!スーパービーダマン』を読みましたので、ご紹介します。何故今頃そんなものを読んだのか?突然読みたくなったからです。

爆球連発!!スーパービーダマン』は1995~2001年にかけて月間コロコロコミックで連載された漫画です。こういったホビー玩具漫画は有名な『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』を始めとしてコロコロ史上たくさんありますよね。その中でビーダマンを敢えて選んだ理由は特になく、ぼくが一番コロコロ適齢期だった頃にちょうど人気絶頂だったから記憶に残っていたとか、そんな感じだと思います。我が家では月刊誌であるコロコロコミックを年に2,3冊しか買ってもらえず、その分1冊を擦り切れるまで繰り返し読んだために、その号に掲載された回がむしろ強烈に印象に残ったのでしょう。(悲しいエピソード)

4つの長編があるんですが、共通する魅力の一つに、ライバルとの和解と共闘というドラマがあります。
メインキャラクターのひとりサラーは、初登場時は資金力にものを言わせて勝利の快楽だけを求めるというありがちな嫌な奴でした。しかしタマゴとの全力の戦いの中で本来の勝負の楽しさを思い出し、仲間になります。そのサラーが歪んでしまった原因は転校前の学校での不幸なすれ違いにあったのですが、それは「全日本ビーダー選手権編(地区予選)」のラスボス戦への伏線でもあります。この、すれ違いからの憎悪→和解という構図は「TOPビーダー選手権(全国大会)」でのガンマ・ガンモの師弟対決にも見られますね。大会で対戦する多くの強敵たちは戦いの中で実力を認め合い、ビリーのように主要メンバー入りしたり、特訓の手助けをしたり、応援したりします。かつて戦った友から受け継いだ機体、とかもめちゃくちゃ燃えますよね。物語の展開的にも「昨日の敵は今日の友」パターンは胸が熱くなるものですが、こうした姿を見て読者の子どもたち(そしてぼく)は、本気で戦うことと友情は両立しうるのだと知るのです。ぼくもPVPゲームをやってて負けたときに激情に駆られそうになるのでよくわかるんですが、「勝ちたい」「負けて悔しい」という感情はどうしても人を攻撃的にしてしまいます。小学生ならそこから喧嘩になることも多いでしょう。そういうときグッと堪えて、お互いに気持ち良く健闘を称え合うことで仲直りでき、あるいは仲間が増えて結果的に大きなプラスになるよ、ということが全編を通して描かれているわけです。

全国大会編までに登場する主要なビーダー達は、初登場時は非情だったサラーや円、伊集院を含め、心根の優しいスポーツマンシップを守る善良な子どもたちです。しかし、残念ながらルールを破る人間はどこにでも必ずいます。それが最終章「ダークマター編」に登場するはぐれビーダー集団ダークマターです。彼らは大人のビーダマン普及団体(?)JBA内部の権力争いに付け込み、ビーダマン界(?)の実権を握ろうとします。戦いの中で津印やマダラがいかにしてダークマターとなってしまったのかが描かれていますが、それもまあ簡単に言ってしまえば子どもらしい感情が発端の不幸な物語と言えます。最終的には、彼らもまたタマゴ達との戦いを通してビー魂を取り戻していくのですが、ここから我々はルール違反者への対応を学ぶことができます。序盤のサラー編から一貫して、正しい行い(ルールの中で全力で遊ぶ)が最も楽しく面白いことであり、それを実践で示していくことで気付いてもらうわけです。子どもたちは間違いを犯してもそれに気づけば矯正することができる。登場人物の中で最後まで改心せず悪役として消えていったのが大人のDr.迫ただ一人というのがなんだか示唆的ですね。

ところで、こういうホビー漫画は娯楽であると同時に、販促を兼ねている面もあると思われます。ぼくはビーダマンはやりませんでしたが、ミニ四駆ベイブレードは買ってもらった覚えがあります。当たり前ですがビーダマンにしろミニ四駆にしろ、漫画みたいな派手な芸当は全然できない。買ってもらった玩具と漫画を比べて、最初は落胆するかもしれません。しかし、実物が目の前にあるというのはやっぱり嬉しいものですし、遊んでみるとそれはそれですごく楽しい。一緒に遊ぶ友達がいればなおさらです。そうして、フィクションの面白さと現実の面白さが全く別でありこと、どちらも違った魅力があることを、自然に身に付けていきます。それはフィクションと現実を混同しないという重要な精神性の獲得につながるのです。大人になってもその区別がつかない人は、同級生がゴーーッ!シューート!!やってる輪に入らず孤高ぶってた陰キャか、親が厳格もしくは貧乏で玩具を一切買ってもらえなかった不幸な子かのいずれかだと思われます(暴論)。

いかに学ぶべき部分が多いかという論調になってしまいましたが、対象読者が価値観の柔軟な子どもたちであることを考えると、もしや狙ってそのように描いたのではとも思えてきます。裏返せば、人格形成に多大な影響を与えかねないからこそ、下手な話にはできなかったとも言えますが。では我々成人はお呼びでないかと言えばそんなことはなく、十分に我が身を省みるキッカケにできるでしょう。なぜなら、あの分厚い雑誌に夢中になっていた日々を懐かしく思う気持ちがある限り、ぼくらはまだ大人ではないので。
まあ、そういう堅苦しいことを抜きにしても、漫画としてそもそもめちゃくちゃ面白いので、よかったら読んでみてください。対象年齢のためか、極端なシリアス展開が一切なくストレスなく読めるのもよいですね。少年漫画が備えているべきあらゆる要素が完璧に詰まっていて、あなたのビー魂に火が付くこと請け合いです。