近況

こんにちは、南條愛乃です。
嘘です。すみません。

元気ですか。最近睡眠の質が激落ちている気がする。暑いからか。
以前ベースを買ったと書いたが、小型のアンプも買った。防音設備は一切ない。小さいのでマスタボリュームを落とせば大丈夫でそ。せっかく買ったのにまたもちょこっと触って満足してしまう。いくらしたと思ってんだこのハゲ。
それというのも去る6月20日、待望のFINAL FANTASYⅩⅣ第二弾拡張ディスク『紅蓮のリベレーター』が発売されたのが悪い。楽しく遊ばせて頂いております吉田神よアーメン。ゲーム全体としては満足の一言。待った甲斐があったというもの。ただジョブ調整は相変わらず下手だなーと思う。もうちょっとだけ召喚士どうにかして。ちょっとでいいから。おねがい。
FF14といえば、人気ロックバンドGLAYのメンバーTERUさんがエオルゼアに爆誕、目を見張る速度でドハマリしていく様子が話題に。わりと早い時期からTwitterではしゃいでるのを眺めていたが、楽しそうでなにより。見ているこっちがにこにこしてしまう。元々ゲームが好きみたいで、初心者にはややつらいと思われるタンクロールでも一生懸命頑張っていてすごい。しかしそれ以上に他のプレイヤーとの交流に楽しみを見出しているっぽい。自分がGLAYのファンではないことが悔やまれる。だって、例えば南條愛乃さんとゲーム内で会話なんかできたら死ぬでしょ。心臓が幸福に耐え切れなくなって死ぬ。南條愛乃さんはキャラ非公開なので万が一偶然ゲーム内で出会っても気付くことすらできないが、GLAYファンはそれが可能なのだ。羨ましすぎるクソ。ゲームの話が増えたことに苦言を呈す愚か者がいたらしいが、ファンなら当然FF14を買いに走るべきところではないのか。
南條愛乃さんといえば、ラジオの公開録音とバースデーアコースティックライブに行った。公開録音では友人の神引きのおかげで前から2列目真ん中とかいう、天国に2番目に近い場所的なアレを手に入れ、危うく心臓が幸福に耐えきれず死ぬかと思った。たぶん目が合ったと思う。粒子とか、そういうの吸ったと思う。バースデーライブは昨年入院により涙をのんだアレ。光る棒も控えめに座って聴くタイプのライブでとても良かった。おじいちゃんなので立ちっぱはそろそろつらい。33歳おめでとうございます。依然として可愛い。生の演奏を聴いてベースのモチベーションがむくむくと湧き上がるも、家に帰ってFFにログインした瞬間に霧散。ゲームたのしいです。ぼくはこんしゅう27さいになります。なんかください。こんごともよろしくおねがいします。おわり。

生きる意味を探さない

anond.hatelabo.jp

 

現時点で、自分の思う理想的な人生設計に限りなく近い。これを実践して生活できている増田氏には感服する。

“生きがいやら人生の目的やらを重視している人が多くて驚いている。
そんなもの持ったこと今まで一度もない。やりたいことをやるよりもやりたくないことをやらない人生の方がずっと素晴らしい。”

この文章にすべてが詰まっている。よくぞ言ってくれたという感じがする。少し修正するなら、生きがいや人生の目的を重視するのはごく自然なことで、そういう人が多いのは驚くに値しない。ただ、この増田氏のような感覚を持つ人も確かに存在しているし、その価値観を他人に馬鹿にされる謂れはない。そういう自由を保障するのが近現代における文明社会というものではないか。

仮に、ぼくが今からこの人を追随するとして、それははたしてどこまで可能か。
一番のネックはやはり原資の確保。40歳の時点で現金1600万の資産を持っているためには、いまから年間100万以上の余剰(+α)が必要になる。給与計算業務の担当なのでだいたい把握しているが、今の会社の給与体系では順調に役職を得たとしても余裕はないと思う。早めに投信や保険の備えを用意するならばなおさら。1600万という数字もこの増田氏がたまたまそうだっただけで根拠はなく、充分とは言えない。準備するなら今よりも節制が必要であろう。まあ、足りなければリタイア時期を後ろにずらせばいいだけの話ではある。
二番目のネックは、完全に自分でどうにかするしかないが感情的な問題。自分はそういうのを完全には無視できない。雑魚なので。自分が40歳になったとき母親は73歳。父はいないし他の親族も頼れるとは言い難い。本人は長生きしたくない、介護は世話をかけない、とは言うものの、いまどき73歳ならまだ存命である可能性は高い。その肉親を置いて一人で「ほなワイは好きにするで~」と言って仕事も辞めてどこかへ行けるものだろうか。別に平気で行けるような気もする。その時になってみないとわからない。
40歳だと順当にいっておそらく課長になっていると思われるが(ライバルがいないので)、弊社のような人数の少ない会社でいきなり課長が「やーめっぴ」などと言いだせば大変困る。超困る。数年前から打診して後釜を用意するのが現実的だしやるならそうするつもりであるが、いずれにしても上司同僚後輩(いれば)にかなり申し訳ないことになる。その退職理由が「リタイアです」とはなかなか言えない。言えるひともいるだろうが、自分の性格ではきっと無理だ。なんとか理由をでっちあげるにしても、あまり気分はよくないことは間違いない。会社に特別不満があるわけではないのでなおさらである。
結論として、不可能ではないがいくつか課題を解決する必要がある、くらいだと思われる。意外と行けそうな気がしてきた。

こういう消極的な人生観を持つに至った理由は簡単には言い表せないし、自分でもよくわかっていないかもしれない。ただ、明らかに一つ後悔しているのは今ほどネガティヴじゃなかった10代の頃、人生計画というものにもう少しでも頭を使っていれば、多少はポジティヴな人間になれたのではないか、ということだ。何事も望む結果を得るためには、行き当たりばったりではよくない。気楽なリタイア生活を得るにしてもそれは同じで、年金、保険、投資、と備えがあってこそ可能になる。であるなら、準備計画は早い方がいいのではないか。
来月で27歳になる。もはや何をどう言い訳してもアラサー。別にアラサーだからって何も悪くないが。アラサーとはいえ、セミリタイアを決意するには若すぎるかもしれない。ぼくは生きがいもないし、やりたいことをやるよりもやりたくないことをやらない人生の方が遥かに好きだが、それが素晴らしいことだとは思っていない。人類全員がこういう生き方をすると寿命がくる前に社会が破綻するに違いないので。だから人生の目的を持って生きる人や、今は持たずともそれを探してもがいている人を尊敬している。
元の増田氏にしても、バツイチだそうなのでかつては人並みに前向きというか、モリモリ頑張っていた時代があったのかもしれない。結婚したということは少なくとも一度は誰かを守ろうとか、なんかそんな感じの「人生の目的」っぽいものが見えそうになったのではないか。結婚観が高校生レベルなのでよくわからない。そういう経験を経てのセミリタイアにはなんだか説得力がある。自分はあらゆる面で年齢に人生経験が伴っていないので、こういう話にはどうしてもちょっと自信がなくなる。
今すぐ決意する必要はない。ないが、せいぜいあと2,3年だと思う。30歳になって今と全く変わらなければ、ほぼ99%死ぬまで価値観が変わることはないだろう。とりあえず30歳までテキトウにゲームして遊んで、ちょっと投資信託の勉強でもしておけばいい。

あの日読んだホビー漫画の名前を僕たちはまだ知らない

大人になると子どもに戻りたいと思う瞬間が多々あります。あるいはそういう感傷から卒業した時こそ真の大人になるのかもしれませんが、とにかくぼくは今もしばしばあります。そんなあの頃、ぼく達が熱狂した漫画のひとつ『爆球連発!!スーパービーダマン』を読みましたので、ご紹介します。何故今頃そんなものを読んだのか?突然読みたくなったからです。

爆球連発!!スーパービーダマン』は1995~2001年にかけて月間コロコロコミックで連載された漫画です。こういったホビー玩具漫画は有名な『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』を始めとしてコロコロ史上たくさんありますよね。その中でビーダマンを敢えて選んだ理由は特になく、ぼくが一番コロコロ適齢期だった頃にちょうど人気絶頂だったから記憶に残っていたとか、そんな感じだと思います。我が家では月刊誌であるコロコロコミックを年に2,3冊しか買ってもらえず、その分1冊を擦り切れるまで繰り返し読んだために、その号に掲載された回がむしろ強烈に印象に残ったのでしょう。(悲しいエピソード)

4つの長編があるんですが、共通する魅力の一つに、ライバルとの和解と共闘というドラマがあります。
メインキャラクターのひとりサラーは、初登場時は資金力にものを言わせて勝利の快楽だけを求めるというありがちな嫌な奴でした。しかしタマゴとの全力の戦いの中で本来の勝負の楽しさを思い出し、仲間になります。そのサラーが歪んでしまった原因は転校前の学校での不幸なすれ違いにあったのですが、それは「全日本ビーダー選手権編(地区予選)」のラスボス戦への伏線でもあります。この、すれ違いからの憎悪→和解という構図は「TOPビーダー選手権(全国大会)」でのガンマ・ガンモの師弟対決にも見られますね。大会で対戦する多くの強敵たちは戦いの中で実力を認め合い、ビリーのように主要メンバー入りしたり、特訓の手助けをしたり、応援したりします。かつて戦った友から受け継いだ機体、とかもめちゃくちゃ燃えますよね。物語の展開的にも「昨日の敵は今日の友」パターンは胸が熱くなるものですが、こうした姿を見て読者の子どもたち(そしてぼく)は、本気で戦うことと友情は両立しうるのだと知るのです。ぼくもPVPゲームをやってて負けたときに激情に駆られそうになるのでよくわかるんですが、「勝ちたい」「負けて悔しい」という感情はどうしても人を攻撃的にしてしまいます。小学生ならそこから喧嘩になることも多いでしょう。そういうときグッと堪えて、お互いに気持ち良く健闘を称え合うことで仲直りでき、あるいは仲間が増えて結果的に大きなプラスになるよ、ということが全編を通して描かれているわけです。

全国大会編までに登場する主要なビーダー達は、初登場時は非情だったサラーや円、伊集院を含め、心根の優しいスポーツマンシップを守る善良な子どもたちです。しかし、残念ながらルールを破る人間はどこにでも必ずいます。それが最終章「ダークマター編」に登場するはぐれビーダー集団ダークマターです。彼らは大人のビーダマン普及団体(?)JBA内部の権力争いに付け込み、ビーダマン界(?)の実権を握ろうとします。戦いの中で津印やマダラがいかにしてダークマターとなってしまったのかが描かれていますが、それもまあ簡単に言ってしまえば子どもらしい感情が発端の不幸な物語と言えます。最終的には、彼らもまたタマゴ達との戦いを通してビー魂を取り戻していくのですが、ここから我々はルール違反者への対応を学ぶことができます。序盤のサラー編から一貫して、正しい行い(ルールの中で全力で遊ぶ)が最も楽しく面白いことであり、それを実践で示していくことで気付いてもらうわけです。子どもたちは間違いを犯してもそれに気づけば矯正することができる。登場人物の中で最後まで改心せず悪役として消えていったのが大人のDr.迫ただ一人というのがなんだか示唆的ですね。

ところで、こういうホビー漫画は娯楽であると同時に、販促を兼ねている面もあると思われます。ぼくはビーダマンはやりませんでしたが、ミニ四駆ベイブレードは買ってもらった覚えがあります。当たり前ですがビーダマンにしろミニ四駆にしろ、漫画みたいな派手な芸当は全然できない。買ってもらった玩具と漫画を比べて、最初は落胆するかもしれません。しかし、実物が目の前にあるというのはやっぱり嬉しいものですし、遊んでみるとそれはそれですごく楽しい。一緒に遊ぶ友達がいればなおさらです。そうして、フィクションの面白さと現実の面白さが全く別でありこと、どちらも違った魅力があることを、自然に身に付けていきます。それはフィクションと現実を混同しないという重要な精神性の獲得につながるのです。大人になってもその区別がつかない人は、同級生がゴーーッ!シューート!!やってる輪に入らず孤高ぶってた陰キャか、親が厳格もしくは貧乏で玩具を一切買ってもらえなかった不幸な子かのいずれかだと思われます(暴論)。

いかに学ぶべき部分が多いかという論調になってしまいましたが、対象読者が価値観の柔軟な子どもたちであることを考えると、もしや狙ってそのように描いたのではとも思えてきます。裏返せば、人格形成に多大な影響を与えかねないからこそ、下手な話にはできなかったとも言えますが。では我々成人はお呼びでないかと言えばそんなことはなく、十分に我が身を省みるキッカケにできるでしょう。なぜなら、あの分厚い雑誌に夢中になっていた日々を懐かしく思う気持ちがある限り、ぼくらはまだ大人ではないので。
まあ、そういう堅苦しいことを抜きにしても、漫画としてそもそもめちゃくちゃ面白いので、よかったら読んでみてください。対象年齢のためか、極端なシリアス展開が一切なくストレスなく読めるのもよいですね。少年漫画が備えているべきあらゆる要素が完璧に詰まっていて、あなたのビー魂に火が付くこと請け合いです。

アイドル研究部をめぐる冒険

「アイドルって、つまりは偶像崇拝でしょう?」と彼女――小泉花陽は神経質そうに眼鏡を触りながら言った。
「あるいは」と僕は答えた。
「そうね、あるいは」
彼女はブレザーのポケットからマルヴォロ・ライトを取り出して、ライターで火を着けようとした。けれど、彼女のライターはガスが切れているようで、うまく着けることができない。
「よくわからないな。偶像崇拝の何がいけないんだい?」と僕は訊いた。「まさか、実はムスリムだって言うんじゃないだろうね」
彼女は何度かの試みの後、諦めてマルヴォロとガスが切れたライターをポケットに仕舞って「いけないということはないけど。でも、私にアイドルが務まるのかしら」と不安そうに言った。
「崇拝の対象になろうだなんて、傲慢だと思わない?」
「傲慢かもしれないし、傲慢ではないかもしれない」
「凛ちゃんっていつもそう。もっと素直になるべきよ」
「僕のことはいいよ。とにかく、かよちんはアイドルになるべきだと思う」
「そうなのかしら」
何処からか、軽音楽部の演奏が聴こえてくる。曲はT.レックスのイージー・アクションで、控えめに言って聴くに堪えないチープなものだったけれど、僕の指は自然と机をコツコツと叩いてビートを刻んだ。
「かよちんは本当はアイドルになりたいと思っている。だけど、その気持ちを恐れてもいる。『崇拝』は忌むべきもの、触れてはいけないものだと思っているから」
彼女はうつむいて沈黙した。カーテン越しに差し込む陽光のように、T.レックスが僕と彼女の間に鋭く割り込んできた。
「学芸会みたいな演奏だね」
「ここは学校なんだから、当然でしょう」と彼女は言った。
「かもしれない」僕は肩をすくめた。

僕たちはアイドル研究部に行ってみることにした。けれど、僕たちはそれがどこにあるのか知らなかった。長い長い廊下を歩いていると、音楽室があった。誰かがエリック・サティを弾いている。僕と彼女は、食後にブレンドコーヒーを飲むみたいに、そうすることがあらかじめ決まっているかのように、軋む扉を開けて音楽室へ入った。
「こんにちは、西木野さん」とかよちんは言った。
「また歌の練習に来たの?」目付きが悪い赤い髪の女生徒が、ピアノ演奏を止めて言った。僕はもう少し彼女のジムノペティを聴いていたかったのに、と思った。どこかのT.レックスと違って、彼女のサティはとても上手だった。
「アイドル研究部を探しているの。西木野さんは知っているかしら」
「それじゃ、アイドルになる決心がついたのね?」と彼女――西木野と呼ばれた女生徒は言った。
「そういうわけではないけれど。凛ちゃんがまずは行ってみようって言うの」
彼女はそこで初めて僕に気が付いたかのようにこちらを見て「あなた、花陽に無理をさせているんじゃないでしょうね」と、サルデーニャ産のトマトのように赤い髪をくるくると指に巻き付けながら言った。
「西木野さん、だったかな。これは僕とかよちんの問題なんだ」と僕は言った。
「傲慢ね。花陽がやりたいと思えばやればいいし、やりたくないと思えばやらなければいいのよ」と西木野さんは言った。「あなたもね」やれやれ、と僕は思った。
「そうかもしれない。ただ、かよちんは引っ込み思案だから、少しくらい強引なほうがいいんだ」
ふうん、と西木野さんは僕を眺めまわして、ため息をついた。
「わかったわ。私もアイドル研究部がどこにあるのかは知らないけれど、あなたたちについて行ってあげる」
「ありがとう、西木野さん。ところで、マッチかライターを持っていない?」とかよちんは言った。

とびきり長くはない近況報告

 相変わらず変わり映えのない日々を送っています。最近暑いですね。暑いと誰しもやる気が出ないものですが、ぼくは暑くなくても出ないので相対的に有利かもしれません。ちょっと何言ってるかわかんない。少しだけ進歩したことと言えば、欲しかったベースを買ってしまいました。セールで6万5千円なり。買ったからなんだっつー話ですけど、ぼくにとってはこれだけでも大きな前進なんです。何もしない状態から抜け出せたんですから!今後これが高価なインテリアになるか(ケースに入れててインテリアもクソもないだが)控えめな趣味になるかは自分次第ですが、今の所週に1回くらいしか触ってません。また何もしない状態に陥りますね、これは。こっそりTwitterにベース買ったって書いたら普段の5倍くらいいいねが付いたんですけど、なんなんですかあなたたち。弾いてほしいんですか。それから、少し読書もしてます。インテリになりたいので。インテリとは一体なんだ。久しぶりに図書館で本を借りてみました。数年前に移転して新しくなったんですが、本当に田舎らしくない、オシャレで良い図書館です。ただし無料駐車場が無いという致命的かつ絶望的な欠点があります。この1ヵ月間で3冊読めました。大学時代が平均月4冊程度だったことを思えば、よく頑張ったのでは。改めて思いましたが本を読むのは楽しいです。ただ、集中力が足りず10分毎に休憩(無意味に本を閉じる、スマホを見る、無駄に歩き回る)を挟んだり同じ行を数回読まないと理解できなかったりします。おじいちゃんかな?お堅めな本を選んだので(インテリになりたいので)読んでて疲れるのはしょうがないかもですが、もう少し没頭できたらいいなと思いました。そういえば、一昨年のゴールデンウィークに急に思い立ってガンプラを作り始めたことがあって、けっこう道具とか色々揃えたんですけど、夏に入るころには完全に飽きちゃったんですよね。同じ轍を踏む気がしてなりません。しかし流石に6万5千円を無駄にはできないですね。やれと言われたこと、やらなきゃいけないことならできるなら、自分で強制したろ!という発想だぜ。それで楽しくなかったら完全に本末転倒なんですけど。結局何をやるにも本人の関心意欲態度が大事なんですね。思えば小学校の通知票は軒並み最高評価だったのに、関心意欲だけは各教科若干落とされていた気がします。どうしたらいいの。にゃーん。

光の人間関係

 テレビドラマ『光のお父さん』如何ですか。観てますか。
 結論から先に言うと、ぼくはドラマ版のほうはあまり好きではないです。

ゲームやろうぜ
 「光のお父さん」とは、ぼくがダラダラ長年続けているMMORPGファイナルファンタジー14」を舞台にした実話をネタにした、あるプレイヤーのブログ企画であります。実の父にFF14をプレゼントし、息子であることを隠してゲーム内でフレンドになり、子ども時代に果たせなかった親子の交流、ゲームを通じて得られた大切なものを描き出す、ハートフルなんちゃら。
 ぼくも、いちヒカセンとしてドラマ化が決まる前から楽しく読んでいたので、ドラマ化はとても嬉しく頼もしいです。オンラインゲームはプレイ人口が増えてナンボなので、ドラマを機に始めてみようという人が増えるのは非常に喜ばしい。ゲーム内では若葉ちゃん(始めたばかりは名前の横に若葉マークがつく)を良く見かけるようになった(体感)ので、多分増えているとは思う。嬉しいですね。ぜひFF14やりましょう。やれ。

ゲームばっかりしてると○○になるぞ
 そもそも、元がオンラインゲームのプレイ日記なので、深夜とはいえ老若男女が視聴するであろうテレビドラマにはあまり向いていない。気がします。なぜなら「(オンライン)ゲーム=ひきこもりキモオタニートの不健全な遊び」というよくわからない偏見があるので。俺はニートじゃないが。キキキモオタでもな、ないだが?
 この「光のお父さん」は、一応主題は親孝行ということになってますが、そういった「オンラインゲームの負のイメージを払拭したい」というコンセプトもヒシヒシと伝わってきます。
 個人的な見解としては、実際のところオンゲのプレイヤーにはちょっと頭のおかしなのが一定数います。そりゃゲームに限らずどこにでもいますが、相対的にやや多いのではないかと思います。たとえば、人間1000人のうち変な奴が10人いるなら、オンゲプレイヤー100人の中には5人いるとか、そういう濃縮(1%→5%)が起きている可能性はあります(数字は仮です)。あるいは、普段は普通でもゲーム内だけ自制がきかなくなる輩もいるかもしれません。であるからして、不当な蔑みは無論良くないとしても、偏見が全くの事実無根でもない、と思ってます。
 一応弁明しとくと、実際2年以上遊んでる体感では、ヤバい奴に出会ったのはほんの数えるほどなので、気にするほどでもないです。出くわしたら石につまづいたようなもんだと思えばよろしい。こわくないよー。たのしいよー。

ドラマも見るか
 ドラマ化にあたって、「オンラインゲームの良さをより万人にわかりやすく描く」ための工夫を色々と感じました。FF14を知らない、興味がない人こそ一番観て欲しいターゲットなのでは。そういう意味では非常に良く考えて上手に作ってると感じます。
 原作ブログでは、マイディーさんは自分のプライベートは多くを明かさず、時々「営業職の経験から~」みたいな感じでチラ見せする程度です(個人のブログなので当たり前ですが)。一方ドラマ版では会社員としての生活に焦点を当てて、現実とゲームでの出来事を並行して描写し、相互に良い意味で影響し合う、という構成になっています。例えば、主人公光生が仕事でへまをして担当を外されそうになったとき、ゲームの中でお父さんが諦めずに強敵に立ち向かう姿を見て奮起する、みたいな話。ベタですけど、短い時間でうまくまとめられてて良かったです。
 だがしかし、最初に書いたように、ぼくはドラマ版、そんなに好きじゃないです。 
 本当は、ゲームパートがメインになってほしかった。ぼくは「マイディー」さんと「インディー」さんが主人公の話、ゲームのプレイログの映像化が観たかったんですよね、たぶん今にして思えば。冷静に考えれば、テレビでそんなのやるわけないってわかるんですけど。
 テレビドラマとしてはあくまで、一人の会社員であり息子である「稲葉光生」と、父である「稲葉博太郎」が主人公なわけです。FF14というゲームは二人の関係性を「ドラマチック」に描くために最も重要な要素ですが、あくまで舞台装置であり、それ以上でも以下でもない。正直、二人の親子関係とか光生の会社の人間関係とかどうでもいいんですけど、そういうのがどんどん展開していきます。

ごめんちゃんと見てなかった
 と、ここまではぼくの言い分ですが、自分で自分に反論を試みます。
 実はドラマ化めざして企画書とか作ってる段階で、脚本家が持ってきた改変だらけの「売れそうな」脚本案を「こんなん光のお父さんちがう!」つってボツにしたことがありました。そのうえで、みんなが納得のドラマ光のお父さんをもっかい作ろうって言って、できたのがこれなんですよ。ぼくは第一印象「え~めっちゃ改変されてるやん~うそやん~」って思って観てたんですけど、知る限り誰も文句なんか言ってない。原作者の太鼓判。あれらは「光のお父さん」を曲げるような改変なんかじゃなかった。ドラマ「光のお父さん」は、ブログ「光のお父さん」を正しく反映している(らしい)のです。ぼくは一体どこに目を付けてたんでしょう。
 ドラマ化する前の最初から、このお話は「稲葉光生と博太郎」の話だったんですね。もちろんブログに本名なんて書いてないので稲葉さんではなく山本とか長谷川とかかもしれませんけど。ぼくは「マイディーが見たいんじゃ、稲葉はどうでもいい」って思いましたが、それは間違いで、マイディー=稲葉であり、画面上にどちらが出ていようと、本質的にそれは同じことなわけです。
 言いたいこと伝わるでしょうか。「マイディー&インディー」が見たい「光生&博太郎」は見たくない、と区別するのは、視野が狭かったんですよね。いや、まあぶっちゃけ生身の人間見るよりゲームのキャラクター見てるほうが楽しいのは譲れませんけど、それは個人の嗜好ってやつで。

人間が関係する
 上の方で書いたように、ぼくも一応「親孝行が主題」だってわかってはいた。マイディー親子の絆云々もああよかったねえイイハナシだねえって言いながら読んでました。が、やっぱどこか軽視していたんでしょう。単なるゲーム日記という見方から動かなかった。
 親孝行っていうのはつまり親子関係であり、要するに人間関係です。光生の会社でのエピソードも、人と人が関係するという主題により厚みを持たせるためのものだった。ドラマではカットされてますが、ゲーム内の仲間たちとの関係も結局はそういうことです。このお話は、オンラインゲームの良さを伝えるものであると同時に、人の繋がりの話なわけです。ぼくはその後者をほとんど見落としていたんですね。親子の絆に共感しづらいのは仕方ないかなと思わなくもないですが、そもそも人間関係に興味が薄いのは、今更どうしようもないとはいえ、あちゃーって感じです。
 自分なりの気づきを得た今でも、ドラマ版があまり好きでないのは変わりません。なぜなら、ぼくは人間関係が描かれる話よりもゲームのプレイログのほうが好きだからです。とはいえ、それはあくまでぼくの趣味であって、良いドラマだと思います。観てね。あわよくばゲームやろうね。

宣伝
 いろいろ書きましたが、あくまで個人の感想です。観た人が面白ければそれでよいです。
 ドラマは既に放送始まってるんですが、動画配信サービスNetflixで全話観れます。再放送や地方での放送も予定ありらしいです。詳細はWebで。
 ドラマは観れなくても、ブログは誰でも読めます。かなり長いし、ゲームの知識があったほうが楽しめますが、なくても面白いです。ドラマ化に至るまでの紆余曲折も外伝として読めます。脚本家の案をボツったのもここの話ですね。長いです。面白いです。
 読んでみて少しでもゲームをやってみたいと思ったら、必ずぼくのところへ来なさい。レベル35まで無料で遊べます。製品版は月1500円(パッケージ代別)です。月額課金はハードルが高いと思いますが、それだけの内容はあると思います。
 みんなでゲームするのたのしいよ!
 
 

インテリになりたい

今フランス大統領選挙の真っただ中ということで、大学時代の恩師の専門がフランス○○○(特定防止)だったなあと思い出し、ちょっと興味が湧いた。久々にブログを覗いてみると相変わらずお元気そうでなにより。
父親がいない(死んでない)ぼくにとって「大人の男性」像というのは極めて曖昧なのだが、何某先生はそんな僕から見ても非常に尊敬できる人物である。残念ながら大学生当時のぼくは(今も)何も考えていない中身スカスカ人間であったため、そんな素晴らしい先生の下で学べるという機会を全力で素通りして中身スカスカのまま卒業してしまい、恩師と呼ぶことすら正直おこがましい。長い読書感想文以上でも以下でもないカスのようなでっち上げ卒業論文は、いまだに思い出すだけで枕に顔をうずめて足バタバタである。一応日本では一流とされる大学にあんなゴミで名を残したことが死ぬほど恥ずかしい。今からでもマジで卒業資格をはく奪されたい。

隙あらば自分語りはこれくらいにして、大統領選である。残念ながら4月25日現在、先生のブログで大統領選に触れているのは1月の左派予備選挙についてだけだったので、決選投票に進出したマクロンとルペンに関しては知りたければ自分で調べなければならない。そういえば先生は左派寄りだったような気もする。別にフランスがどうなろうが関係無いし知ったこっちゃないのだが、政治的なものの見方や情報収集力を養うのは、自分に関係ある選挙で役立つはずだ。という、スカスカ人間のせめてもの悪あがきです。
少し前にオラが町の市議会選挙があって、合理的に投票先を選ぼうとして、面倒になって諦めた。結局自民党の若手に入れた。若かったので。大統領選と田舎の市議会選を一緒にするのもどうかと思うが、選挙は選挙。ぼくのようなスカスカの実を食べた全身スカスカ人間は、投票先の選定基準に困ってしまうので、どう選べばいいか知りたいのだ。
そういうとき、最も良いと思われる情報ソースは選挙公報等の公的な公開情報である。であると思って、実際見たのだが(意識高い)、正直わかりづらい。だいたい似たようなこと書いてあるし(馬鹿)。馬鹿でもわかりやすく腑に落ちるためには、「信頼できる人物の発信する情報」が必要ではないかと思う。「信頼できる」という条件自体が大変ふわふわで信頼できない気がするが、各自の信頼できる力(リョク)(?)に頑張ってもらうということでここはひとつ。

フランス大統領選におけるぼくの「信頼できる人物」は恩師だったわけだが、結局ブノワ・アモン氏のベーシック・インカム論が面白いということぐらいしか収穫は無かった。他、Togetterのまとめやらニュースサイトやらを読んで(小一時間)、なんとなく最終候補の立ち位置はわかった(気分になった)。マクロンが中道、ルペンが極右。なるほど(わかったのか?)。ただ、どうもこう、発言者の政治的スタンスによってどの程度バイアスがかかってるか読めず、とくにTwitterでの個人の発言はルペンは本質的レイシストだのレイシストじゃないだの、どっちがマトモなのやら(両方マトモじゃないやら)判断がつかない。
仮に自分がフランス国民だったとして、どちらに投票するか考えてみるが、よくわからない。結局、自分自身の立ち位置をよく把握していないのだ。なんとなく右寄りとは思うものの、そもそも前提知識が不足していて話にならない。学力と家庭の経済状況は比例すると言われているが、ぼくはそうは思わない。なぜなら我が家は貧乏だから。ただし、文化資本と経済状況はおおいに比例すると思う。なぜならぼくの教養は貧乏だから。

要するにノンポリってやつなのかもしれないが、何もわかっていないのに選挙で投票したとして、その1票にどんな意味が?とは思ってしまう。日本の選挙で、誰が首相になろうが誰が市長になろうが自分の生活が変わるかと言えば、おそらく大して変わらないので、結局どうでもよい気がしてくる。あるいは「大して変わらない」という認識がそもそも不勉強と無知ゆえなのか。うーむ。それでも一応毎回投票に行ってるのは、なんというか「観てもいないアニメの批判はしたくない」的な心理というか。別に政権批判する気もないが、「文句を言えない立場」に陥ることを避ける為だけに、休日の時間を代償に支払って投票している。


久々に恩師のブログを読んだせいで無駄に知的好奇心が刺激されて、インテリを気取ったことを書いてしまった。実際はスカスカの実のスカスカ人間である。マクロン候補は口ばっかり巧みで薄っぺらだというもっぱらの評判なので、親近感を覚える。中身がないよしみでやっぱりマクロンに一票。インテリになりてえ。