映画『鋼の錬金術師』

12月1日公開の映画『鋼の錬金術師』を鑑賞してまいりましたので、僭越ながらレポートさせて頂きます。突っ込みどころが多すぎて全編解説みたいになりました。ネタバレの極みですが結論から先に申し上げると、劇場でこの映画を観るのは時間と金の無駄なので、ネタバレとか気にしなくていいと思います。ただし、原作ネタバレも少し含まれますので気になる人はご注意ください。


兄弟の子供時代回想からスタート。原作に忠実ですね。棒読みのヤンキーのガキふたり。誰やねんお前ら。エドワードとアルフォンスです。ヤンキーのガキ完全再現。お母さんが突如ぶっ倒れて死にます。突如すぎる。人体錬成を試み、失敗。アルは剥がれた床板に乗ってどこかにぶっ飛んでいきました。なんだこれ。
いきなりトバしてきました。この時点で超絶クソ映画決定と思ったんですが、どうやらこれは最初にハードルを下げまくって本編を相対的に良く見せる作戦だったようです。最終的には若干クソ映画に踏みとどまりました。

場面変わって、リオールという町でエドがおっさんをおいかけているところから本編が始まります。原作1巻のレト教のエピソードですね。端折りに端折って原型はほぼない。ウィンリィマスタング大佐とホークアイ中尉登場。本田翼は演技が下手。大佐は原作の飄々とした感じが消えてただのクールな有能。中尉は完全モブ。
ウィンリィは、何故か髪が栗色になっているということで公開前から批判を浴びていたんですが、原作者からその辺テキトウでいいみたいなコメントを出して言い訳してました。自分はあまり気にしなかったんですが、だったらエドワードも金髪じゃなくてよかったのでは、とは思いました。エドの頭、カツラ感が凄かった。

街中で暴れたということで東方司令部へ連行されるエドヒューズ中佐とハクロ将軍登場。ハクロ将軍は原作だとほんの数コマしか出ないちょいちょい役なんですが、映画では重要キャラです。この場面では若者に理解を示す柔軟な指揮官ということで、原作のグラマン中将の役どころを若干重ねているように見えました。
佐藤健太演じるヒューズ中佐は再現度が高く、良い出来でした。エンヴィー変身の伏線として奥さんも顔を見せましたが、何故か娘は妊娠中という設定。おそらく棒読み子役の出番を可能な限り減らそうという涙ぐましい工夫でしょう。ちなみに有名な「持っていかれた…!」のシーンはさすがに子どもの四肢欠損がNGだったのか、悪夢にうなされるという体で大人の山田涼介がやってました。

将軍の紹介で国家錬金術師大泉洋を訪ねる兄弟。と何故かウィンリィ。この女、特に理由もなくあちこち金魚の糞みたいについてきます。多分画面が男だけだとまずいんでしょうね。
大泉洋から賢者の石を研究していたドクターマルコ―の情報を手に入れたエドと金魚の糞女はマルコーに会いに行きますが、面会した直後に謎の美魔女ラストの襲撃を受けマルコーは死亡。死に際に「第五研究所」という言葉を残します。原作のマルコーが錬金術でラストに一撃を加えるシーンは意外な強キャラ感があってめちゃくちゃ好きなんですが、カットされて残念でした。せっかく構図は原作に忠実だったのに。

戻ってきたエド大泉洋の作成したキメラを目の当たりにし、例の名台詞シーン。ここは原作屈指の重要エピソードですし、丁寧に撮ろうという努力を感じました。(学芸会ぽさに磨きがかかるので)子役を出したくないのに、展開上ニーナを外せないのは忸怩たる思いだっただろうな、と想像するとほっこりします。

大泉洋が逮捕された後、キーワード「第五研究所」をヒューズ中佐ロス少尉と共に調べるエド。ロス少尉も原作ではけっこうな役割を果たす人物ですが、チョイ役で終わります。彼女に限らず女性キャラのほとんどが画面の華要員に成り下がっているのは非常に残念でした。ここでまたハクロ将軍が現れ、第五研究所の情報をもたらします。これは原作だと大総統が担ったところですね。ハクロ将軍は一人で複数キャラの役割を兼ねることで原作と全く違ったキャラクターになっています。この辺もふくめ、脚本は原作の分解再構築をそこそこ頑張っていて、この映画の数少ない優秀な点だと思います。
そして真実に気付いてしまったヒューズ中佐。まあまあ再現度は高い。電話ボックスで倒れているシーンは原作のコマほぼそのままでニヤッとしました。監督は本当に原作を読んでいるのか?という批判交じりの疑問も聞かれましたが、しばしば原作再現のワンカットが挟まれてくるあたり、一応きちんと読んでいるしリスペクトもあるようには感じました。
原作だと第4巻あたりなんですが、ここから色々すっとばして急転直下していきます。

ヒューズ中佐殺害容疑をかけられ逃亡する大佐。その関係者として拘束されるエドとモブ中尉。大佐の残したメッセージから将軍の教えてくれた情報が嘘だったとわかり、脱走して本当の第五研究所へ。
ここでまさかの大泉洋再登場。めっちゃ活躍するやん。やはりオリキャラは違う。そこには錬成陣があり、天才国家錬金術師であるエドはなんとそれを一目見ただけで賢者の石の材料が生きた人間だと見抜きます。すごーい(棒)。大泉洋ウィンリィを人質にとり、義手を外すようエドに要求。原作設定だとオートメイルは着脱可能なんですが、何故か錬金術で破壊して引きちぎるエド。なんでやねん。と思っていたら、しばらく後にウィンリィがそれを修理。金魚の糞にもなんとか存在理由を持たせようという苦肉の策だったわけですね。泣ける。
いきなり刺されて死ぬ大泉洋。また美魔女。実は人造人間ホムンクルスたちが軍上層部と共に大量の賢者の石とそれを核にした兵隊人形を秘密裏に製造していたのです!なんだってー(棒)。さらに横からハンパない強キャラ感を醸し出しつつ現れた小日向文世ホムンクルスに反旗を翻し、兵隊人形を起動して世界を支配すると宣言。しますが、すぐに人形に齧られて死亡。これも原作では24巻だか25巻あたりで名もなき軍の偉い人がやっていた役どころで、ハクロ将軍は一人4役をこなしたことになります。よく頑張った。
そのあとは暴走する人形をみんなで倒したり、大佐が敵討ちを果たしたり、腹のキズを焼いて塞いだり、原作の要素をドカ盛りしつつ、事態は終息。朝日を仰ぎつつ賢者の石を探す俺たちの旅はこれからだ!的大団円へ強引に持っていき閉幕。


全編通して言えることなんですが、脚本が比較的マシにも関わらずクソ映画と感じるのは、随所に滲み出る学芸会風味のせいでしょうか。映画館という場で観ることによって学芸会を全身で余さず味わう羽目になり、脚本の良さを上回ってしまったのかも。小日向文世國村隼といったベテラン俳優たちの演技力も、主役級が軒並み大根なせいで逆に浮いて見えました。
その脚本の良さも、あくまで全27巻の物語を2時間に収めるという制約の中ではよくやっているというだけで、当然あちこち無理があります。残念ですが1800円の価値がある映画体験とは到底言えませんでした。ただ、一応原作への敬意は感じられたので、超絶クソと呼ぶのはやめようと思います。特典の第0巻収録の原作者×監督対談を読むにつけ、真面目に映画撮ってるんだなというのがわかるので、なんとも言えない気持ちになります。

『鋼の』に限らず漫画の実写映画化はしょっちゅう炎上しているにも関わらず後を絶ちません。何故なんでしょうか。
勝手な予想ですが、ハイクオリティを指向して見込める増収よりもハイクオリティで作る費用の方が大きいんでしょう。いいものを作れば作るほど損するのに、ほどほどの予算の範囲で作って公開すれば話題性だけで利益が出るなら、そりゃやめられないよ。儲かってる実績があるんでしょうね。会社は利益が出るなら雇われ監督ごときが叩かれたって痛くも痒くもないし。そういう焼畑農業的やり方では長期的にはマイナスだと思いますが、そこまで考えがあるとも思えません。実際ここにも一人まんまと金を払った馬鹿がいるわけだし。ぼくはこれに懲りて二度と実写化映画は観ませんが、観客全員が一人残らずこの気付きを得るまで、こういう映画は撮られ続けるでしょう。

仕事を辞めた

よく誤解されるが、実際にペンギンそのものに触れたことはほぼない。搬送されてくるペンギンの個体は専用の袋でパッケージングされているからだ。一定間隔で袋を開けて検品することになっていて、そこで初めて袋の中身が確かに生きたペンギンであることを確認できる。俺の仕事は、届いた袋をそのままペンギンを蒸す機械に運び、制御盤で指定の操作を行い、トラブルやエラーがないことを見届ける。それだけだ。蒸されたペンギンの取扱いはまた別の作業員の仕事で、その内容は俺の知るところではない。
世間ではペンギンの命をむやみに奪う非情かつ冷酷な仕事だと思われているが、このように管理された業務のおかげで、生命を扱っているという意識は希薄だった。確かに可哀相かもしれないが、それは食肉用の家畜だって同じことだし、ペンギンだけを特別扱いする理由はない。蒸されたペンギンもきっと何らかの形で社会の役に立っているに違いない。そう思っていた。どのように役に立っているのかは知らなかったが。

あの日、ペンギン入りの袋を右から左へ受け流す単調なリズムが、初めて乱れた。
検品の為に袋の口をあけたとき、中のペンギンが勢いよく飛び出してきたのだ。今まで何百と蒸してきたペンギンたちは、いずれも袋の中でおとなしくじっとしていたので、俺は驚いた。今思えば、全てのペンギンが一様に無抵抗なのも不自然だったが、それを気にしたことはなかった。
一応、こういった場合の対応マニュアルもあったが、今までこんなことは起きなかったので、もたついてしまった。マニュアルを思い出し区画の封鎖ボタンを押そうと手を伸ばしたとき、
「やめろ!」
と鋭い制止の声が響いた。ひとつの区画に作業員は1名のはずだ。あたりを見渡しても人影はない。
「話を聞いてくれ」
にわかには信じがたかったが、声の主は今しがた袋から出てきたペンギンだった。予想だにしなかった事態に思考が追い付かず固まっている俺に、ペンギンは落ち着いた低い声で語りかけてきたのだった。
彼によれば、ペンギンという生き物は彼のみならず皆が言葉を解し話すことができるらしい。人間はペンギンを人類文明への脅威として捉えているため、増えすぎないように蒸しているんだと彼は言った。
「じゃあ、何故君たちは文句も言わず大人しく蒸されているんだ?」
「家族を人質にとられているんだ。もし拒めば一族全員が蒸されてしまうから逃げられない」
ペンギンなのに人質とはどういうことか。この異様な場面でそれが妙に可笑しく感じられた。このペンギンの彼は他のペンギンと間違えてここに送られてきたのだという。彼自身は身寄りがなく、逃げ出しても犠牲になる家族はいない。だから脱走を試みた。
「なあ、頼む。俺を助けてくれ」

俺は彼を逃がすことにした。もしかしたら、彼の語ったことは全部でたらめだったかもしれない。ペンギンを減らしたいならわざわざ蒸す必要はないし、家族を人質にするなんて面倒なことをしなくてもいい。だいたい、ペンギンが喋れたからといって、どう人類を脅かすと言うのだろう。あるいは、普通のペンギンは当然会話などできるはずもなく、あの一羽だけが特別だったのかもしれない。いずれにせよ、俺は何も知らなかった。ペンギンのことも、自分がしている仕事のことも。確かなことは、言葉を話すペンギンがいたということ、彼が俺に助けを求めたということだけだった。
彼を逃がして間もなく、俺はペンギンを蒸す仕事を辞めた。

つまんない話

先日『Call of Duty WWⅡ』というPS4のゲームを買ったんですが、1週間で売ってしまいました。新作なので高く売れてよかったです。差額は2回位映画館へ行ったんだと思えばまあ損でもないということにしました。ノルマンディー上陸作戦から始まる打倒ナチスキャンペーンモードは割と面白かったです。
FPSは『オーバーウォッチ』以外やったことがないんですが、PUBGがおもしろかったので、もっとバンバン銃を撃てるゲームをやろうと思って買いました。CoDは有名だしちょうど新作が出たところだったので勢いで買ったんですが、対人で死ぬほど死んでまっっっったく面白くなかったです。売ったので確認できませんが最終スコアはキルレシオ0.2ぐらいだと思います。一応Botでも練習してたんですが、Bot相手も全然勝てないし楽しくないしこれは向いてないなと思いました。もしかしたら上手い人達も最初はこんなもんだったのかもしれませんが、そこを堪えて練習しようという気持ちにならない時点でやっぱ向いてない。その点オーバーウォッチは、クイックに限ればぼくのような下手くそでも楽しく勝ったり負けたりできて良いゲームだったなと今さらながら思いました。アシストもキル数に入ってるからですけど。売っちゃったけどめっちゃまたやりたくなってきた。オーバーウォッチから逃げるな。

ただ、CoDにしろオバウォにしろ自分の下手さに萎えてやめたみたいになってますが、PVEメインの『Destiny2』もストーリーを終わらせてから20時間くらいやって飽きちゃったので、やっぱりもうゲーム自体無理なんだろうなと思います。オフラインゲームはここ5年くらい何やっても全クリできた覚えがないし。『FF14』しかねえよもう。14ちゃんはある程度技術があるからストレスがないだけで、フレンドが誰もログインしてない状態じゃやっぱり面白くないんですけど。そのフレンドは数人しかいないんすけど。

PUBGの良かった点のひとつは、1試合長くても20分か30分程度で終わるので長時間やる必要がないところです。CoDもそれに期待して買ったんですが。オーバーウォッチはそのへんも非常に優秀でした。やっぱりやりたい。でもまたクイックじゃ物足りなくなってランクマッチに行って、自分の実力のなさに萎えるんでしょうね。素の素質も低いんでしょうけど、対人ゲーはどうしても楽しむために練習と習熟が必要で、良いゲームだと思っててもそこまでの熱意は湧いてこない。やっぱゲーム向いてねえわ。
昨今のソシャゲブームはこういうガッツリゲームする体力とかまとまった時間がない人に受けたからだ、みたいなのはよく見かける話ですけど、ぼくはガチャにも何の魅力も感じないので、だめです。金もねえし。でも今までゲームしかしていなかったから、何をして余暇を過ごせばいいのかわからない。だって外に出るのイヤじゃないですか。つまんねえ人間だなお前。

結婚できなくても、仕事で自己実現できなくても、自分の為に楽しいことをして生きればいいと思っていましたが、自分の為にしてやれることが何もないのではと思うようになってきました。なんで買った新作ゲームが合わなくてすぐ売ったくらいでこんな結論に至るんでしょうか。調子悪いみたい。最近はゲームが無理なら読書でもすればいいじゃんと思って、読みたい本をたくさん並べてはいるんですが、読書はゲームよりずっと疲れます。ゲームより楽しいですけど。ゲームですら長時間続かないのに、読書なんか15分ごとに30分休憩が必要になってしまう。1冊読むのに何日かかるねん。休日何をしたらいいかわからないって言ってる人を馬鹿にしてきましたが、自分がそっち側になるとは思いもしませんでした。
こういう話、定期的にしている気がします。
本当につまんねえ人間です、私は。

異常思想

少し前、黒人男性が白人至上主義者をハグして何故黒人を嫌うのかと問うたところ、白人主義者は困惑して理由がわからないと言った、というニュースがあった。何かを嫌うという感情は精神の奥底から湧き上ってくるものであって、どうこうしようというのは無理があるのではないかという、示唆に富む話だった。また、小児性愛者へのインタビューが行われている記事も興味深かった。彼はその気持ちをなくすことはできないけれども、子どもに危害を加えることは決してしないと誓っていた。しかしだからといって欲求が消えるわけではなく、苦しい思いを吐露していた。このように、何をどう感じどう好むか(嫌うか)は、必ずしも明確な理由があるわけではないらしい。育ってきた環境や何らかの衝撃的体験が影響しているのかもしれないが、少なくとも本人が自覚していないケースもよくあるということだろう。それらは方向が正であれ負であれ変えようと思って変えられるものではなく、人間の性根というものは誰にも完全なコントロールはできない。本人でさえも。コントロールできないなりに、平均というか中央というか、そういう傾向はあって、「常識」とか「普通」とかいうフワフワした語で言い表されている。一方、たとえば人種差別や特殊性癖のように、思想や感情が不幸にも「常識」や「普通」から逸脱していた場合、いったいどうしたらいいのだろう。逸脱した行為に走って犯罪者になるか、一切表に出さず自他の齟齬を抱えて苦しみ続けるか。普通でない思想を持つこと自体は罪ではなく、それらを言動に移したときに初めて裁かれるべきだと思うが、実際は内心と行動を分離できる人間ばかりではないことは明らかで、残念ながらなにかしらの事件になったりする。被害者からすれば意味の分からない輩に意味の分からない苦痛を強いられるわけだから、やはり異常な思想は行動前から取り締まるべきなのかもしれない。そのようなことはあってはならないと、異常な思想を持つ者が誰にも明かさず密かに生きて行くことにした場合、既に紹介したように当人は死ぬまである種の苦しみを負い続けることになり、実質終身刑に近い。何も罪を犯していないのに。最近は凄惨な殺人事件をよく聞くが、殺人衝動を持ちながらも死ぬまでそれを抑え隠し続けた人がどこかにいたかもしれない。その人はもしかすると、余人には到底及ばない精神的偉業を成したにもかかわらず誰にも認められず、救われず、死んでいく。やはり異常な思想を持つことだけで重罪であるから、その苦しみは妥当だということなのだろうか。わからないではないが、なんというか、人間の精神は完全に自由意志の支配下であると言っているに近く(本来自由意志で制御できるのだから異常思想に傾くのは悪)、それも少し極端ではないかと思う。そんなに自分を制御できる者がたくさんいるとは思えない。

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ごせんちょうえんほしい

ようやく貯金が7桁に乗った。宮崎あおいのように仕事を辞めて引っ越したい。

意識して節約はしてない。「大きい買い物をあまりしない」という一点のみで赤字を免れている感がある。1円単位で家計簿をつけていることもいくらか効果がある気がする。入退院を繰り返し車検もあった去年はともかく、今年はベースを買った6月以外は黒字化に成功している。一番成績が良かった3月は49,195円のプラスとなっていて、手取り14万にしてはよくやっていると思う。逆に言えば14万じゃどんなに頑張ってもこの程度しか余裕がない。
前も書いたけど来年の夏までに車を買い替えたくて、それにはまだ全然足りない。ローンは嫌だけど買った直後に預金空っぽも嫌だ。正直めんどうなので買い替えたくない。でもボロいから替えたい。うーん。新車なんて贅沢は言わないがボロくない車が欲しいという気持ちと、車は走ればいいという気持ちがせめぎ合っている。車ってどうやって買うの。買ったことないので車屋に行くのも怖い。車とか殺人兵器じゃないですか。PUBGなら即死だぞ。
先日会社で、出入りの銀行マンに乗せられて個人型確定拠出年金を契約することになった。気は進まなかった。無駄に長生きしたくないし、先行きあやしい老後のために現在の(ただでさえ乏しい)可処分所得を減らしたくないし。冷静に考えれば公的年金が頼りない今、平均寿命まで生きると仮定したら何かしら準備しない理由はないが。しょうがなく月5000円だけ申し込んだ。これ以上はお財布が無理。みんなも長生きする気ならなんか用意しなよ。俺はおじいちゃんになった自分が後悔しても知ったこっちゃないけどな。さっさと死ね。
お金はもちろん欲しいが、お金を得るために辛く苦しい思いはしたくない。何もせずお金が降ってくることを期待するほど楽天家でもなく、結果的に清貧に甘んじている。別に清らかではない。ただ、俺の言う「お金欲しい」はもっぱら刹那的な快楽(おやつとかゲームとか漫画とか)を気兼ねなく消費するためであって、家を建てるとか家族の生活とか老後の計画とか、そういったライフステージは一切考えていない。なら貯金なんてしなくていいと思う。それでもシコシコ貯金しているのは、お金そのものではなくて「貯金はしている」という言い訳のためではないか。誰向けなんだよ。貯金の目的意識はないまま、貯金すべき!という漠然とした強迫観念だけで毎日のおやつが犠牲になっている。こんな良い子ちゃん価値観を俺に刷り込んだのはいったい誰なんだ。殺すぞ。

高速道路は狂気の所業だ

結婚する気がないとか、友達を作る気がないとか、家から一歩も出たくないとか、どんなやりがいがあっても仕事はしたくないとか、何もかも捨てて単身チベットへ渡って僧侶になりたいとか、40歳で早期退職して残りは年金と運用資産と貯蓄で生きていきたいとか、年金受給年齢と定年が引きあがるならいっそその前に死にたいとか、実際行動するかどうかはともかくそういう人間です俺は。しかし、そのようなふざけた未熟な人生観を持ちながらも、かろうじて社会に参画できるだけの能力は残っているので、このように社会人の末席を汚している。末も末、ちょっと後ろをみたら深淵が広がっているような端っこでも、一応きちんと働いている。すると、職場の人々はみな家庭を持ち子どもを育て家を建てあるいは孫までいるような人しかいない。残念ながら多少の処世術を心得ているし空気もまあまあ読めるので、なるべく浮かないように普通のふりをして生きている。ふりができているなら自分で思うより普通の人間なのかもしれないが、それでもそれとなく頑張っていないとずれて行ってしまう気がする。職場の人にいやあ自分結婚なんて全然いいですよ~なんて言ってしまうと「そういう人間」として扱われて仕事がしづらいと思う。いい大人なのだからそんなことで変な顔はしないかもしれないが、田舎なのでするかもしれない。仕事はなるべく楽にしたいのでそれはよくない。自分が異常者だとか言いたいみたいで恥ずかしいけれども、異常者は会社勤めなどできない。異常者だと書き方が悪ければ社会不適合者でもなんでもいい。いっそ本当に働けないなら胸を張ってそういう人間だと生きていける(そういう人は胸を張って生きてください)けれども、実際働いているし内心はともかくうわべは馴染んでいるし、誰にも理解されない。ズレた価値観を持っているくせに真っ当な世界の端っこにしがみついていて常に息苦しい。誰かに理解されたいわけじゃなく、理解されても何も変わらないので、ただこう、自分のマイルストーンとしてここに書く。もしかしたら何かに躓いて婚活に邁進し交友関係を広げ仕事に打ち込み子どもを育て家を建て孫に囲まれることになるかもしれない。ないと思うがわからない。そうなったときに自分でここを読もう。お前は俺だぞ、と。

 

久しぶりに高速道路に乗った。端的に言って、狂っている。自分はよく一人で車に乗っていると頭がおかしくなり大声で歌を歌ったり叫んだりするので狂っているかもしれないが、高速道路でそういうことをやると死ぬかもしれない。どう考えてもおかしい。ちょっと腕を右か左に振ればそこには死がある。こんなものを大勢の人が平気な顔で利用している。たまに死んでる。大丈夫なのか。幸い今回は横に上司が乗っていたので叫んだり歌ったりしなかったが、というか一人でもさすがに高速で叫んだり歌ったりはしないが、とにかく狂気じみている。重さ1トンの物体が時速100キロで運動している。数学の文章題かよ。横に上司が乗っているのもそれはそれで緊張してしまい、緊張の二乗で異様にのどが渇いた。仕事したくない。

やる気がないので帰ります

こういうのを読みました。

 

blog.tinect.jp

3行でまとめると
・強制や丁寧すぎる指導では人は成長しない
自主性を促し疑問を持つ力をつけさせるのが最良の師
・『BAMBOO BLADE』はおもしろい

ということらしいです。
この記事自体は別に剣道の話ではないんですが、ぼくが剣道には並々ならぬ因縁があることは既にご存じの方も多いと思います。今まで2回だけ、マジ顔で死にたいと思ったことがあるんですが、そのうちの1回が剣道によるものでした。剣道場から帰宅して、家族が家に入った後もひとり車から降りずに泣き続けていた小5だか小6の夜。別にその日何があったわけではなくいつも通りの稽古だったんですが、とにかく毎日嫌で嫌で、ついに何がが切れてしまったんでしょうね。辞めたいと言っても辞めさせてもらえず、あれこそまさに強制以外の何物でもなく、なるほどぼくが人として微塵も成長できなかったのも納得です。すみません、責任転嫁しました。

剣道はどうでもいいとして、指導方法として自主性を重んじることが有効なのは理屈としても実感としても理解できます。その例として挙げられているのが『BAMBOO BLADE』の顧問や植芝盛平なわけです。漫画はフィクションですが、植芝さんは実際に偉大な実績を残しているので、やはり効果は実証されていると言っていいでしょう。
ただ、自主性の欠片もないマンことぼくはどうしても引っ掛かりを覚えてしまいました。別にこの話にケチを付けたいとか否定したいとかではないんですが、ちょっと屁理屈を思いついてしまって。もっと根本からダメな人間(たとえばぼく)に対して、その方法論は効くのだろうかと。何かやり方があるのか、それともダメな奴はどんな師についてもダメなままなのか。

“自分で疑問を作り、それに対して自主的に試行錯誤できるようになると人は物事に熱中できるようになる。こうなれて初めて人は師を越えて成長できるようになる。”

と書いてあります。だとすれば何事もまず疑問が先に立つものであり、成長の根本は本人が疑問を持てるか否かにかかってきます。その疑問を持たせることが上手い人物として合気道植芝盛平が出てくるわけですが、紹介されている彼のやり方を見る限り、ぼくは「そんなんで自主的になるか?」と思いました。少なくともぼくはおそらくならない。いや、実際は弟子が何人も大成しているんですが。
ここでの違和感の原因はおそらく、「元々やる気のある人々をどこまで伸ばせるか」という話であるのに、ぼくは「やる気をどう伸ばすか」と読み違えていたからだと思われます。植芝道場(多分そんな名前ではない)の門下生は前提として自ら進んで合気道を志すやる気満々な人々であるわけで、ハナからやる気のない奴は辞めてるんですよね。ぼくはやる気ないのに辞められなかったんですけど。あ、だから勘違いしたのかなるほどー。

無職時代、小遣い稼ぎに半年ほど塾講師をしてまして、固定の担当としては受験期の中学3年生を3人教えていました。自分でいうのもアレなんですが教えるのは割と得意で、ここでいう疑問を持たせて自主性を云々みたいなのも素人なりに考えて教えていたつもりです。
3人のうち2人はまあ普通の子という印象でしたが、彼らなりに一生懸命に聞いてくれて、そこそこ良い学校に第一志望で合格しました。本人の理解力や思考力も大事ですが、ちゃんとレスポンスしてくれるのがよかった。ただ、もう1人の子がやっかいで、初めて会った時点(中3夏)でbe動詞も怪しいくらいで、大変苦労しました。結果から言うと偏差値40くらいの公立に落ちて私立に行ったそうです。都会と違って田舎では私立高校=誰でも入れる滑り止め扱いなのです。
その子は、なんていうか地頭の差も確かにあったんですが、それよりもなんか常に眠そうで反応も薄くてやる気が感じられないのがどうしようもなくて。ぼく自身も偉そうなことが言えるほど勉強が好きなわけじゃないので、どう声を掛けたらいいものかと悩みました。まあ、週に3時間しか顔を見ない一介のアルバイトにどうこうできるならとっくに解決してるって話なんですが。

「やる気のない奴にどうやる気を出させるか」っていうのは教育の場ではどうやって対処しているんでしょうか。剣道やら合気道やらは、そもそもやる気が無ければやらなくていいモノなので、そういう問題は発生しないはずです。最近、部活動で「やる気が無いなら帰れ」系の指導が問題になったりしてますが。あれも大概クソですよね。元々やる気がある子ならあれで奮起するんでしょうかね。部活も(建前は)任意なのでやる気が出ないならやらなくていいとぼくは思うんですが、勉強はやる気が無くてもやらなくちゃいけない、のでしょうか。一応そういうことになってます。
それとも、我々が固定観念にとらわれているだけで、勉強すらもやる気が無ければやらなくていいものなんでしょうか。学校の勉強を一切せず大成した人物もいるにはいます。なにもかも本人の自主に任せ何をすべきか何を為すべきか決めさせるのが健全な社会形態なんでしょうか。

何が言いたいのかと言うと、どんなことでも根源に本人の内側から湧き出る「何か」があって初めて、何事かを為し、何事かを成せるとするなら、それって指導や教育ではどうしようもないのではないか。ぼくはその「何か」を便宜的にやる気と呼んでますけど、熱意とか意欲とか言い換えてもまあいいでしょう。とにかく芯のある何かです。少なくとも、師匠や教師や先達にできることはまず、やる気という器がある前提で、そこに苗を植え大きく育てることです。とりあえずそれをより大きく育てられるのが良い教師と言ってよいでしょう。器の種類は人によって様々でしょうから、合気道や剣道にそれがなくとも、悲観することはない。勉強にないと今のご時世非常に苦労すると思いますが、それでもワンチャン道はあるかもしれない。ですが、じゃあ一体何の器を持っているのでしょうね。
be動詞を知らなかった彼も、何か他にそのやる気という器を持っているんでしょうか。それはどうやって見つけるんでしょうか?持って生まれたものなのか、あとから増やすこともできるのか?どうやって?もしひとつもなかったら?
それはきっと誰も教えてはくれないのでしょう。