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眼からレーザー

 2016年をアレするアレです。

■邪眼(左)
 とにかく眼球に苦しめられる1年だった。すっかり慣れた入院生活。慣れたくなかった。
 発端は春先、なんか左目の視界が狭いなと感じた。疲れてるんだと思った。よくある。前職時代、ピントが合わなくて文字が読めない、みたいな状態に突然なったことがあって退勤したら治ったんだけど、どう考えてもストレスのせいだったと思う。そのときと似たようなもんだと思った。
 これは疲れやストレスではないっぽい、と自覚してから病院に電話するまで2週間かかった。面倒だったので。冷静に考えてただの馬鹿なんだけど、最悪片目が見えなくなっても死にはしないし、って本気で思っていた。さすがに両目失明は嫌だな~怖いな~とは思いつつ、片目くらいなら許してやろう、みたいな。これも本当に馬鹿なんだけど片目がダメになるような人間がもう片方も無事で済むはずがないとなぜ思わないのか。
 さすがに常識も残っていたので病院には行った。速攻で紹介状、大学病院予約割り込み、即手術決定。ありがとうございました。

 2週間渋ったのが地味に効いた。μ’sのファイナルライブに入院見込期間が被る。マジで死のうと思った。正直手術決定より遥かにショックだった。結果から言えば、経過良好によりライブ2日前に退院した。奇跡としか言いようがない。術後の安静を口実に会社を休みライブビューイングを観に行った。眼帯付けて。馬鹿とでも阿呆とでも好きに呼べばいい。おっしゃるとおり馬鹿です。もしLVではなくさいたまスーパーアリーナのチケットが当選していたら、退院が間に合ったとしても断念せざるを得なかっただろう。さすがの馬鹿も退院2日後に「ちょっと用があるんで東京(さいたま)遊びにいきまーす」とは言えない。
 そもそも病院に行くのが2週間早ければ、入院も短く済んで費用を抑えられたかもしれないし、ライブにも影響無かったし、会社にかける迷惑も減らせたと思う。その点は素直に反省している。病院は早めに行こうね。自分の身体はどうでもよくても、意外と他にあちこち影響があるものだ。どうしても病院に行きたくなければ、死期を悟った猫のように失踪して、死体が発見されない方法で死ぬしかないのではないか。中途半端に愚図ると自他ともに被害が増える。

 意識を保ちながら眼球の中身をいじくられるのは結構貴重な体験だった。この期に及んでまだ呑気なことを言ってる。もちろん施術中視力はほとんど無いんだけど、光は感じるしなんか棒とか突っ込んでゴソゴソやってるのもなんとなくわかる。筋肉を引っ張る?みたいなことをするときだけやけに痛い。術後もかなり痛みが続いて、痛み止めの座薬まで入れたのに一晩中脂汗流して唸る羽目に。リアル俺の邪眼が疼く…!状態。

■魔眼(右)
 で、夏前頃ふうやれやれちょっと視力は落ちたけど治ってよかったね、というところで、反対側の眼もアウトを食らう。こっちは自覚症状が全くなかった。もうどうにでもして。
 今度は致命傷を回避できなかった。南條愛乃バースデーライブに入院が被る。μ’sにしろ南條さんにしろ、チケット取ってからブッキングしてくるのやめてもらえませんか。日程をずらしてもらいたかったが、治るとはいえほっとくと進行する類いのやつだし、仕事のスケジュールとの兼ね合いもあり、諦めるしかなかった。流石に奇跡は2度も起きない。1度目があったので、すぐ受け入れた。南條さんの誕生日は来年だって来る。泣いたけど。
 今度は手術方法が違うらしい。局麻でやると死ぬほど痛いからねなどと脅されながら全身麻酔となった。人生初全身麻酔。正直ちょっと怖かった。話には聞いてたけどすごいねアレ。スッて落ちてサッと目醒めた。起きた直後全身がぶるっぶる震えて「あ、やっぱり死ぬん?」ってなった。すぐ治った。

 このようにして目からビームが撃てるよう改造したわけだが、手術直後は低下した視力もなんか意外とじわじわ戻ってきて、今はおおむね元通り。現代医療すごい。色々人工物が入れてあるのでサイボーグと言っても過言ではない。やったぜ。実際は預金口座が大変なことになったし有給も死んだし足りなくて欠勤して収入も減ったしなにひとつやったぜじゃない。夏の終わりにはツキイチの通院だけになったけど、もう前半だけで2016年はお腹いっぱいになった。

ラブライブ!
 ついに終わる。未だにファイナルライブのブルーレイは観ていない。別に観たら自分の中の何かが終わるとかそういうセンチメンタルなアレじゃないけど。単に気が向かない。両日で10時間ちかくなるので、どうせ観るならきちんと時間を作り気持ちを整え正装して正座して観なければなるまいと思っている。そんなタイミングが一向に来ない。サンシャイン!も始まったが、Aqoursの皆さんがどんなに可愛くても、アニメの出来が良くても、もう以前ほど心動くことはなくなった。理由は特にない。たぶん、この理由のなさが恋とかそういうアレのやつなんだと思う。アレのやつ。サンシャイン!のアニメも違った意味で魅力的というか興味深かったので、録画を観直したいとは思っている。いつか。そのうち。

■ゲーム
 FF14は相変わらず。ついに零式(いわゆる高難度レイド)に手を出し始めてしまい、準廃人の域に片足を突っ込みつつある。吉田の言うところのミッドコアかな。ファンフェスティバルという一大イベントについては既に述べたとおり。
 今年はあまりゲームを買わなかった。「今年は」じゃなくて「今年も」だった。オーバーウォッチとFF15ぐらい。割と楽しい。年末休みは14ちゃんでは零式以外あまりやることがなさそうなのでFF15をやろうと思う。スマホゲーは軒並みやめてしまった。スクフェスすらも。ああいうのはコツコツ継続することが前提の設計で、いったん離れると急激にやる気がなくなってしまう。「コツコツ継続」が根本的に向いていない。

■総評
 人生ゲームでいうところの「1回休み」みたいな年だった。1回と言わず3回くらい休んだし所持金もめっちゃ減った。前半で精根尽き果て金もなくなり、後半は消化試合流してる感じ。終盤はだいぶ立て直してよっしゃやったるかって気持ちにはなった(気持ちだけ)。
 来年の抱負は無病息災です。
 

FINAL FANTASY 14 FAN FESTIVAL 2016 TOKYO

 ファイナルファンタジー14ファンフェスティバルに行ってきました。

 普段身の回り(現実)にゲーム仲間がいないので、この会場に集まった数千人が全員自分と同じゲームをしている人間かと思うとなんとも奇妙な気持ちになりました。
 一緒に行ってくれた3人は本当にありがとう。楽しかったです。はくさんは来られなくて残念。また今度絶対遊びましょう。今度ていつになるやら。

 

基調講演
 新ジョブ赤魔道士が初公開。キャスメインの者としては必ずマスターしたいところですが、どうせみんなやりたがるので実装直後はIDで赤赤になりまくる予感。もう1ジョブ来るからそっちに流れてくれ。スパイダーマンサム・ライミ=侍ってマジなん?
 黒魔のエーテリアルステップがお気に入りなので(いつも笑われてますが)、遠距離近距離をシュッ!シュッ!て移動するのがめちゃくちゃ楽しみです。笑うなや。
 水中アクション楽しそうですね。メインの遊びはバトルだと思いますが、FF14はそういうところ以外にも普段からかなりリソースを割いてる印象があります。ゲームが得意な人、零式を目当てにしている人からしたらそういうのよりレイドをもっとなんとかしろとか思うのかもしれませんが(わからなくもないですが)、ネトゲは人口がいてナンボみたいなもんですから、カジュアルな層にも受け入れられるようにするのは非常に大事だと思います。その結果得意なひととの間に摩擦が起きたりする問題もありますが、どちらかを切り捨てたりせず共存できるゲームになったらいいですね。
 最近は零式ばっかやっててそういう生活系から遠ざかっているので、知らずにこころが殺伐としてないか、少し我が身を顧みなければいけないかもしれません。

大陸横断アルテマクイズ
 後半の鬼畜問題がヤバかったです(コナミ)。小ネタとか世界設定とか集めるのも好きなんですけど、やっぱり最近は零式ばっかやっててそういう(以下略)
 6番チームと同点優勝した5番チームがいい歳した渋いおっさんペアで面白かったです。むしろカッコイイ。ギャザクラに自信有みたいでしたけどあんまりギャザクラ問題出なかったのが同点タイにとどまった原因でしょうか。いろんなひとがいるんだなあと思いました。

第34回PLLとガラパゴス化する光の戦士
 『光のお父さん』ドラマ化決定!やったー!!ついに「実はあのドラマのゲーム結構やってんすよねwあのツインタニアってやつも倒したんすよw」つってウザがられたい願望が現実のものに。おう絶対みろよ。俺をウザがれよ。ついでに14始めろよ。俺が育てたるけん。今から始めれば6月20日発売の拡張ディスク『紅蓮のリベレーター』に間に合うよ!(宣伝)
 割と真面目な話、すごいことだと思います。知らないひとは「光のお父さん」でググってください。長いけど頑張って読んで。面白いので。
 題材が「オンラインゲーム」という一般的には白い目で見られがちなモノだけに、放送してもあまり評判は良くないかもしれない。ぼくらのような一部の人間にしかウケないかもしれない。でも、たとえヒットしなかったとしても、前代未聞の試みが成功したことには違いないでしょう。逆にもしこれが広く認められたなら。色々と期待してしまいますね。放送は拡張ディスク直前だし。アニメではなく実写ドラマでやる意味もそこにあるのかもしれません。

 FF14は比較的ユーザー層の幅が広めな印象なんですが、こうやってより多くの人に知ってもらうことで、今まで以上に(オンライン)ゲーム慣れしていないひとが増えて、プレイスタイルの違いによる摩擦がさらに増えるのではないか。そんな心配も少しあります。一時的に人が増えても、楽しさに触れる前によくわからずたくさん辞めてしまって結果不評だけが残る、みたいな事がないとは言えない。ぼく自身も当初ネトゲは不慣れで、もし師匠がいなかったら、あるいは南條愛乃さんがいなかったら、レベル50になる前に辞めていた気がします。序盤の心細さとわけわかんなさはハンパないですからね。でも大丈夫。Hadesサーバーならぼくがいますよ。Hadesいいとこ一度はおいでよ。
 『光のお父さん』シリーズは親孝行の話でもありますが、「(オンライン)ゲームってそんなに悪いことばかりじゃないよ」という“一般的には白い目で見られがちな”風潮へのアンチテーゼでもあります。そういうところがうまく伝わるといいなと思います。ぼくもゲームを通してこうやって大切な友達ができたわけだし。元の友達が少ないから増加率がヤバい。

プロトアルテマ討滅戦改めコンフィグ討滅戦
 未実装の24人蛮神戦をデモ体験。のはずがホットバーやらHUDやらの設定との戦いがほぼメイン。FF14の良さのひとつがこういう操作のカスタマイズ性の高さなんですけど、逆にそのせいでみんな思い思い個性的な画面レイアウトで遊んでいるため、デフォルト状態だとまともに戦うことができない。5分間与えられた準備時間内に全部直すのは不可能なので、いかに即興で使えるようにするかという新感覚のゲームでした。ある意味真のプレイスキルを試された感ある。
 全滅2回くらいで圧倒的「勝てねぇ」感が漂ってましたが、時間切れ前ラスト1回で無事撃破。やったぜ。おそらくプロトアルテマ自体の難易度は自キャラなら余裕のレベルだったと思いますが、上記の特別ギミック?もあってまるでレイド初クリアのような達成感がありました。名も知らぬパーティーのみなさん、ありがとう。噂によると討伐率は3割程度らしいので、良いPTだったんだと思います。ひとの動きみてる余裕なかったからわかんないけど。
 普段は自室でネット回線越しにいろんな人と遊んでますが、顔が見えるところで一緒にゲームをして、倒したらみんなが歓声を上げたりして、64でスマブラとかやってた頃の楽しさを少し思い出しました。


 他にもコスプレコンテストとかピアノライブとか色々ありました。フロアアクティビティもたくさんあったんですけど、結局お絵かきしかしてない。見れてないところは多いですけど、十分すぎるほど楽しかったです。自分は1日目だけでもへとへとになったので、両日参加のみなさんは本当にマジでお疲れ様でした。2日目のバンドライブ聴きたかったな。
 今年はあまりいい年とは言えませんでしたが(毎年言ってる)、年の瀬に楽しい思い出ができてよかったです。またエオルゼアでお会いましょう。
 

Experience tranquility.

 『OverWatch』というFPSを時々やるんですけど、FPS未経験のぼくでもそれなりに楽しく遊べる(ランクマッチは除く)カジュアル寄りのおもしろいゲームです。オムニックの反乱により勃発したオムニック・クライシス。その戦いを終結させるため結成された精鋭集団オーバーウォッチ。終戦後彼らは何者かの陰謀により犯罪者とされ組織は解体してしまうが、新たな戦乱にヒーローたちは再び立ち上がる―――。みたいなストーリーのもとでバシバシ戦います。よかったら一緒にやりましょう。PS4版ですよ。
 使用できるヒーローの多彩さが売りの一つだと思うのですが、ぼくはオムニック僧のゼニヤッタというヒーローをよく使います。オムニックというのは作中に登場する機械生命体の総称で、要するにアンドロイド、ロボットです。ロボットの僧侶って、クソカッコよくないですか。ビジュアルも超クール。身体の周りにオーブが浮いててそれを飛ばす。手でスッ…印を結んだらリロード。カッコよすぎでは?

 この「機械でできた僧侶」に通じる、大変興味深い文章を読みました。

【寄稿】ブッダの教えを学んだ人工知能が誕生したとき仏教の未来はどうなるか? | 仏教なう | 彼岸寺

 この彼岸寺なるお寺さんも非常に気になるところではあるんですが、とりあえずそれは置いといて、釈迦Alphaの話がとても面白い。僧侶を通り越して仏陀まできちゃった。内容の濃さもさることながら、実に読ませる文章です。以前ネットのどこかで見た、お悩み相談を一刀両断するゲーマーのお坊さんの話もめちゃくちゃ面白かったですけど、なんかこう、面白いですよね、お坊さん(語彙不足)。坊主ってすげえ。
 これを読むと、釈迦Alphaが決して夢物語ではない、いつか実現可能性の余地がある話であるように思われます。人工知能に仕事を取られちゃう!みたいな話は枚挙に暇がなく、ぼくなんかの事務仕事はおそらく真っ先に奪い取られる筆頭候補なんじゃないかと思うんですが、芸術などのクリエイティブな分野に関しては、やっぱり人間だよねー的な風潮も根強いと思われます。宗教も芸術同様にAIから遠い、人間領域のモノだという印象だったんですが、半導体素子はそんな勝手な想像など軽く飛び越えてしまうのかもしれません。芸術や文化ですら、映画の脚本を作るAIに触れられているように既に一部では実現しているのです。そんなことやって遊んでる暇があったらまずこの税金とか控除とかの事務処理用人工知能をさっさと作ってくれと思いますが。今一番忙しい時期です。雇用の喪失?知るか、働きたくないでござるゥー。
 “少なくとも言えるのは、私たち僧侶は「機械」になってはいけないということだ。”とありますが、今となっては「人間にしかできないこと」を探すのはけっこう大変で、ぶっちゃけ「機械になって」しまったほうがはるかに楽なんですよね。仕事にしろプライベートにしろ、定められた路線に沿って動くことはとてもストレスフリーです。何も考えずぼんやり生きるならばそれはもう機械に限りなく近いし、たとえ自分の頭でいろいろと考えていたとしても、思考すらもはや機械に太刀打ちできない、そういうこともあり得るでしょう。じゃあどうすれば人間でいられるのかと言えば、つまり“不完全”であること、なんでしょうか。そう考えれば、人間の様々な愚かエピソードも人たる証みたいに思えますね。ぼくは機械で良いですけど。
 個人的には「機械みたい」というのは悪口でもなんでもないと思っているので、何も考えずぼんやり生きることは積極的に肯定していきたいところですが、残念ながら人間社会は大変複雑なので、そうお気楽にやってもいられないのがつらい所です。
 
 別に仏教徒でもなければなんらかの宗教信者でもありませんから、ぼくは無責任な外野の立場からこの話を読んで「これゼニヤッタじゃんカッケー」などとノーテンキなことを考えているだけです。一方これを書いたひとは本職のお坊さんなので、機械の伝道者が本当に現れたとき、我々人間の坊主はどうあるべきか、という問題提起を真面目にしているわけです。もちろん今すぐどうこうということはないでしょうが、いざそれらしき存在が世に出てから考え始めるのでは遅いわけで。その姿は、まさに人間とオムニックの共存と調和を目指して戦うゼニヤッタそのものではないでしょうか。

 ぼくは以前違うところで書いたように機械フェチAIフェチなので、人工知能に仕事を取られて失業するなら本望ですが(働きたくない)、釈迦Alphaと人間のお坊さんが協力して織りなす新しい仏教もぜひ見てみたいものです。

想像力から世界を作る

 「僕の魔界を救って!」(通称僕まか!)というスマホゲームにハマっている。ハマっていると言っても2分触って数時間放置みたいなゲームなので忙しくても安心。別に忙しくないが。今やゲームといったらFF14とこれ以外全く触らなくなってしまった。
 プレイヤーは人間に魔界を奪われた没落魔王。ゴブリン1匹しか味方がいないどん底から、魔界を取り戻す戦いが始まる…という話。作戦と時間を決めて手下を送り出し、領地や捕虜を奪還してくるのをハラハラしながら待つ。帰還時間までひたすら待つ。以下繰り返し。
 説明だけだと何が面白いのかさっぱり伝わらないんだけど、自分でも何が面白いのかよくわからない。どんなに育てたユニットでも死ぬと永遠に失われる、そういうシビアな緊迫感のなかで部隊が生きて帰れる采配を手探りで模索するのがゲーム性なのだと思う。ユニットの種類も豊富なのでコレクション感覚でも楽しめる。最近FF14に実装された冒険者小隊がもっと複雑になった感じ。
 スマホ本体の設定画面のようなUI、アクション性なし、ユニットのイラスト等もなし、ペラペラ会話イベントもなし、主人公である魔王の味わい深い独白がちょこっと。非常に想像の余地があるゲームである。昨今の萌え萌えイラスト付きでいちいちフルボイスで喋るゲームに圧倒されるおじさんなので、まるで往年の個人製作ブラウザゲームのような温かみと懐かしさが心に優しい。子どもの頃部屋にあるいろんなものと会話していた身としては、こういう想像力を失わないようにしたい。えっ?独り会話遊びとか、したよね?
 
 先日初めて行くダンジョンに様子見がてら1時間半の作戦(長い時は10時間以上いくので短い方)で斥候隊を出したら、手塩にかけて育ててきた主力メンバーの一部もろともあっさり全滅してしまった。そこの土地の特性(得意属性以外は防御力低下)を甘く見たのと能力アップアイテムをケチったのが原因だった。そこまでかなりサクサクで進めていたので、油断していた。魔王であり指揮官であるぼくの傲りが、優秀な部下たちを殺したのである。すまん、ベルゼブブ(Lv.10)、ニーズヘッグ(Lv.11)他数名…。
 という風にうしなって初めて気づくなんちゃらってやつなのだが、ぶっちゃけ他のプレイヤーが売却した強いユニットを金払って雇えるし、というか主力の半分以上はそういう傭兵だし、我が魔王軍としては取り返しの利くレベルの損害である。それでもこの心を穿つ痛みは、何処から来るのか。単にぼくがセンチメンタリストだからだと言われればそれまでなのだが、たぶんこのゲームの極限までシンプルなデザインが逆に想像力を掻き立てる、みたいなところもあるのではないだろうか。このゲームではユニットの名前を自由に変えられるのであるが、今回ぼくの不徳の致すところにより殉職したユニットたちにもしなにか固有の名前でも付けてたらまじでお葬式してたところだった。テーブルトークRPGなんかはそういう想像を土台にして成り立つ遊びなのでは?やったことないけど。やってみたいけど会話しないといけないから怖い。


 些細な話なんだけど、そういう想像力をちょっと働かせることで楽しくなるものってあると思う。最近のゲームはどれもこれも美麗グラフィックでシステムも至れり尽くせりでコンフィグも懇切丁寧と来ているが、そのせいかちょっとした不具合や不満点もすぐ目に付く。むしろこうディティールをそぎ落としたものから空想する余裕があると、心穏やかに、なおかつちょっと豊かに遊べるのではないかと思うのだがどうだろうか。
 

剣の道は人の道

 ぼくは物事を長く続けるのが苦手で、今までの人生で最も長くやったのは剣道なんだけどそれは親の強制だったため、ずっと嫌々通っていた。本当に泣くほど嫌だった。泣いたしゲロも吐いた。当時通っていた道場の師範もそのへんは見抜いていたみたいで、ことあるごとに「継続は力なり」という格言を引き合いに出して(おそらく励ますつもりで)暗にやめるなよと言われていた。確かに基礎体力とか忍耐力とか得られたモノはあるんだけど、それらを帳消しにして余りある積年の苦痛と恐怖が思春期のやわらかな心に刻まれてしまった。その結果として逆説的に「継続は力にならない」という正反対の認識が深層意識に刷り込まれたがために、今現在の熱しにくく冷めやすい何も長続きしない人格が出来上がったというのは根拠のない言いがかり以外の何物でもないが何か関係していると思いたい。人のせいにしたい。ぼくちんわるくないもん。

 もちろん、件の格言が間違っているとは全然思わないし、親や師範を恨んだりもしていない。基本的には何かを長く続けることは良いことだ。良いことだと思うからこそ、長続きしない自分を反省しているのだ。ただまあ、やっぱり何事も相性というのはあって、正直言ってお互い竹の棒でぶっ叩きあうという行為と自分の性格気質には、マリアナ海溝より深い溝があると思う。当時親は身体が細く体力も無さげな(残念ながら今も変わっていないが)ぼくが少しでも健康になるようにと願って、ついでに礼儀礼節とかも学んでほしいということで剣道をやらせた、と聞いた。本人(ぼく)の了解もあったらしいが覚えてない。小学1年生のそれも人見知りでおとなしい児童が親の言うことに逆らえたわけがないと思うので、正直ほぼ強制だと思う。何度も言うが別に恨んではいない。当時は近所に神社があれば釘打ちに行きそうなくらい内心呪いまくってたんだけど、今はない。たぶん毒が全部抜けた。そういえば剣道を辞めて以降怒鳴ったりブチ切れたりした記憶がない。抜けちゃいけないものまで抜けちゃった…?

 剣道を「お互いを竹の棒でぶっ叩きあう」などと表現すると非常に怒られそうだ。剣道は野蛮なスポーツに非ず、自己鍛錬と人格形成の「道」であって、ぶっ叩きあうことが本質ではないのだから。……と教えられたんだけど、正直言っていいスか、いや、あくまで感想なんスけど、ただのスポーツっスよほぼ。
 批判するものではないと言い訳したうえでの個人の感想なんだけど、実際やってて何が重要視されてたかっていうとやっぱり「勝つこと」なんだよね。やるからには勝ちたいっていうのは至極真っ当なことなんだけど、子ども目線ではどう見ても「人格形成」より「勝利」の比重のが遥かに大きかったように思う。子どもだからしょうがない、で済むかと思ったら指導者の大人もそういうスタンスが珍しくなかった。そこには鍛錬だとか清らかな心だとかそういうのはまるでなく、とにかく何を犠牲にしても勝利が第一だった。それが悪いとは言わないが、スポーツならスポーツって言えばいいのに中途半端に高潔な事を言ってるのが、子ども心に(子どもゆえに)ものすごく卑怯で醜く見えた。勝利を追求することが清く正しい人格形成なのだ、と言われてしまうと何も言えないが、いやそういうこっちゃないと思うんだがなあ。当時自分は下手ではなかったと思うけれど、元々の身体能力で劣っていたし内心嫌々やっててそう勝てるわけもなく、それもまた否定的な心象に一役買ったのだと思う。どうせなら柔道みたいにスポーツライクに開き直ればいいのに。伝統とか色々あるのか知らんけど。
 しかし、これまた逆説的にこの「卑怯で醜く見えた」という当時の印象が、結局ぼくの人格形成に大きく影響を与えたのではないかと思われる。「勝ちにこだわる」ことと「卑怯で醜い」ということが線で繋がってしまって、結果的に今のぼくは物事の勝ち負けを決めることに嫌悪感を抱くようになってしまった。付随して闘争心や向上心の減退が発生し様々な面で不利益が生じている。…というのは根拠のない言いがかり以外の何物でもないのだろうか、やっぱり。
 
 しつこく繰り返すけど、親や剣道を糾弾したいわけじゃない。当時の親はマジでムカついたし剣道経験はトータルで見てプラマイゼロむしろマイだと思ってるけど、それはそれこれはこれだ。親には感謝しているし剣道をやっていて素晴らしい人格者の方もたくさんおられると思う。
 正直こんな自己分析なんて屁のツッパリにもならない。ぼくは心理学の専門家じゃないし。ただ、自分の(特にあまり好ましくない)性質が誰かのせいで生まれたんだと思うのはとても楽なんだよね。だってぼくわるくないもーんって。
 自分のことなので上記の剣道に関する分析は当たらずとも遠からずなんじゃないかとは思うけれど、人のせいにしたところで何にもならない。かと言って自分を責めても苦しいだけで良いことはない。つまり、誰かのせい自分のせいなどと言った責任の擦り付け合いは何も生まないのだ。大切なのは今あるものを受け入れること、これからどうするかを考えることなのである。

 そう、争いはやめよう。他人に対しても自分に対しても。平和、イチバン。俺、オ前、ナカヨシ。勝チ負ケ、キメル、ヨクナイ。カチ、マケ…オゴ…ウググ…(幼少期のトラウマから抜け出せない例)
 

自分へのご褒美

 なんのために生まれてなんのために生きるのか、わからないまま終わる、そんなのは嫌だ。ほんとうに?そんなに嫌か?

 いつだったか、研修かなにかで「あなたの今までの人生を折れ線グラフで表してみましょう」みたいな課題をやらされた。趣旨はわからんでもないけれども、面倒なことをさせるなあと思った。だいたいこういうのは基本的に全てメンドクサイので何をやらされても文句出るんだけど。
 人生どの時期が調子よく上向いているか、下り坂なのか、停滞しているのか、現在と比べてあの頃は良かったのか悪かったのか。それを分析することでどうすれば今後"より良い"人生を送れるかという指針を見出すことができる。できるのか?できるのかなあ。それでいうと一生学生やってるのが最高の人生になっちゃうんだがいいのか。
 
 最近ちょっと意識が高まっている(当社比)。今年はお世辞にも良い年ではなかったけれど、ゴタゴタがある程度落ち着いてちょっと余裕が出てきたのかもしれない。せっかく暇なんだしゲームばっかりしてないで有意義なこと(有意義とは?)をすべきでは、という気持ちが中途半端にある。実際はゲームしかしてない。このままだと口だけの意識高い系になってしまう。嫌だそんなの。基本的に嫌なことから逃げて低きに流れるタイプの人間なので別にいいやんけとも思うが、やっぱりどうにかしないと、という気持ちが捨てきれないのは、年齢のせいだろうか。たぶん、もうギリだと思う。歳が。

 目標を立てよう。一定期間ごとに課題と報酬を与えることで人間は継続して物事に取り組むということをネトゲから学んだのだ。ここでの報酬は自分で用意でき、もらえると嬉しいがコストのあまりかからないものがいい。

・月1冊以上本を読む
 →達成報酬:1冊につき課金インゲームアイテム1点
・週1日以上ランニングをするor4日以上ウォーキングをする
 →達成報酬:からあげクン
・週4日以上筋トレをする
 →達成報酬:からあげクンチーズ
 
 書いてて悲しくなってきた。しょぼい。だって思いつかないんだもん。だいたいなんだより良い人生って。何がどうなったら良い人生で何がどうなってしまったら悪い人生なんだ。
 目先の目標を達成しても何の意味があるのか、という点が不明瞭だからいけない。目標に意味を持たせるために、より高次の目標が必要だ。小さな目標の達成を積み重ねることが、自動的により大きな目標の達成に貢献できるような課題設計が望ましい。まずは大きな目標を決めよう。

・結婚する
 →えー、無理
・彼女を作る
 →えー、無理ぽい
・お金持ちになる
 →えー、無理だと思う
・海賊王になる
 →えー、無理かも
・新世界の神になる
 →えー、たぶん無理かなあ

 どうでもよくなってきた。なにがしたいんだろう。海賊王よりは石油王のほうがいいかなあ。
 結局、「良い人生」の定義が全く定まっていないことが諸悪の根源だと思う。一生懸命がむしゃらに毎日生きて、最期死ぬときになって「嗚呼良い人生だったなあ」みたいなド根性も悪くないとは思うが、そんな一生懸命な人間ならこんなことになっていない。怠惰で自堕落な人間が、それでも少しは良い方向に進もうという足掻きが、目標だの報酬だのというルール設定なのだから。そうやって心のどこかでは「このままではだめなんじゃないか」と思いながらも、一方では現状に満足してやる気を出さないという、アンビバレントが生じている。誰のせいとか言うつもりはないし、敢えて言うなら自分のせいだけど仮に困るとしても自分だけなので、腰が重い。
 というわけで少し早いけど来年の抱負は「石油王になる」です。今年はもう諦めた。手始めにからあげクンをたくさん食べます。宜しくお願いします。
 

ぼくからみたあなた~南條愛乃Live Tour~

 私事ですが、去る9月4日より5会場に渡って行われました「南條愛乃Live Tour 2016"N"」に参加させて頂き、僭越ながら優勝致しましたのでこの場を借りてご報告申し上げますと共に、南條愛乃様並びに関係各位に心より御礼申し上げます。

 恐るべきことに大阪神奈川宮城と3会場のチケットが当選してしまい、ただでさえ逼迫している当方の財政はもはや破綻一歩手前に追い込まれました。思えば、ここ数年県外へ出るのはほとんどが南條愛乃さんのためであり、もはやこれは遠距離恋愛と言ってもよいのではないでしょうか。南條さんから会いに来てくれたことは一度もありません。あれ?
 ツアー日程がすべて終了するまで演出やセトリの内容は内緒にするという愛乃お姉ちゃんとのお約束だったので、ようやく思いの丈を述べることができ嬉しく思います。実は毎回感想を書き溜めてたんですけど全部つなげると長大なキモイなにかが出来上がってしまい、ちょっと頭冷やして読み返すとキモかったので消しました。「優勝」「良さみが深い」などと近年のオタクの語彙力低下を嘆かわしく思っていたのですが、心のままに言葉を紡いだ結果残るのは気色悪さだけだという自省によるものかもしれません。どちらにしろキモいですか?そうですか。

 今回のツアーは2ndアルバム『Nのハコ』を引っ提げてのツアーと言うことで、当然その収録曲が多く歌われたわけですが、このアルバムは「きみからみたわたし」というコンセプトのもと制作されています。南條さんが今まで出会った人々が歌詞を提供し、「南條愛乃とはどういう人物か」をそれぞれの視点から綴っているというもの。各会場でも来場者アンケートが実施され「わたしからみた南條愛乃」とはなんなのか、我々ファンも今一度考える機会になりました。
 当方としましては「我が女神」と回答したいところなのですが、まああの、真面目な話をすると南條愛乃さんという方は見かけよりかなり強かなひとだと考えております。
 南條さんと言えば「ゲーマー」「ひきこもり」「オタク」「ズボラ」みたいな(失礼)ゆる~いイメージが先行してますが、現実として厳しい業界で10年もキャリアを積み、今も第一線で活躍している人間が、ただのゆるいふわふわしたひきこもりであるわけがない。『idc』も言ってます。「君たちが夢見てるマシュマロガールは雲の上」と。あの良さみの深いダンスはどうみてもマシュマロガールでしたけどね。もちろん実際にそういったオタクな性格ではあったとしても、あの場所に立つためには運や才能だけではない色々なものが必要なわけで、ぼくのような路傍のうんこには想像もつかない幾多の辛酸を舐めて、それらを乗り越えてきたに違いないのです。それは別に南條さんだけに限らず多くの活躍している人々も同じことではありますが、あまりそういった苦労を見せないところというか、素の姿が滲み出る自然体なところが好きです。
 もちろんぼくごときが南條愛乃の何を知っているかといえば、客向けの姿しか知らないので結局これもまた全部「勝手な妄想」と言えばその通りなんですけど、アクターとファンの関係ってそういうものでしょう?妄想と現実をごっちゃにするひとが稀によくいることは問題かもしれませんが、本来ファンは消費者でアクターは商品なんですよ。それを踏まえた上で一人の人間として尊敬し応援することが真摯なファンの態度だと思うのですが。

 3会場参加したと書きましたが、すべて1階席(仙台に至っては7列目)という神席を手にしてしまい、これがFC先行応募の力なのか今までの悪運の回収なのかわかりませんが我が人生に一片の悔いなし。ライブ毎回言うてるでコレ。
 全体の印象として、ライブというよりじっくり聴かせるコンサートに方向性を若干振ってる気がしました。照明落としてサイリウム消して座って聴いてねっていう演出はよかったです。そもそもそういうしっとり曲が多いんですけど。もちろんアゲアゲな曲ではアゲアゲでハッスルでした。絶対そういうタイプじゃなさそうなのにヘイ!かもん!ってやってるところが可愛くていいですよね。
 アルバムの初回限定盤についてくるカバーアルバムがあるんですけど、その5曲から会場ごとに1曲ずつ歌ってくださいました。原曲をフルで聴いたことあるのは『全力少年』だけだったんですけど、大阪で聴けました。よかった。今回たまたま奮発して追っかけしてしまったんですが、こういうちょっとした会場プレミアムがあると、たとえ1会場だけの参加だとしてもすこし嬉しくなりますよね。来年からは行けても1回だけにします。死ぬので。

 正直金は無くなるし移動はしんどいしゲームやりたいし、行く直前は毎回やっぱ行くのやめたいって思ってましたが、結果、行ってよかったです。アホみたいな強行軍の割に疲れが残ることもなかったし。惜しむらくは、財政難によりあちこちケチったため折角普段行けない土地に行ったのにライブ以外ほとんど何もしていないのが勿体なかったかもしれないです。近場ならまあライブだけでササッと帰ってもいいんですけど。次は是非金沢にも来て欲しい。地元は、まあ、諦めるけど。
 基本的に私生活が空虚なので、こういう心を充足させられる機会は大切にしていきたいです。できればもう少し身の丈に合った身近な手段が欲しい所ではありますが。また来年、南条愛乃さんに会える日を楽しみにしています。