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ちなみに『君の名は。』は観てないです

昔ね、なんかスゲェ面白いブログを読んだんです。


そりゃもうめっちゃ面白くて、テンションが上がらないことで御馴染みのこのぼくが腹抱えて笑ったくらい。
実際は口角がちょっと上がって端からンフッwみたいな変な音が漏れただけだったかもしんないけど、まあとにかく面白かったの。

何度でも読みたい心のオアシスになり得る文章だった。

 

ただ、面白ブログにはありがちなことですけど、更新が少ない。
ぼくが同世代の女性と会話する機会並みに少ない。具体的に言うと年一か多くて二回。確変入って三回。
だもんでしばらくすると存在を忘れちゃう。
ぼくも同世代の女性がこの世に存在するってこと、しばしば忘れますからね。
たまに外出て見かけるとなんか嬉しくなります。
いやらしい意味じゃねーよ。二千円札ゲットしたら嬉しくない?その感じ。

んで、忘れてる間に機種変更のどさくさでブックマークどっかいっちゃう。
ふと思い出したころにはタイトルもハンドルネームも記憶の彼方。日々の生活っていう奔流に押し流されて、オアシスは電子の海に呑まれてった。一期一会。
そんな悲しい過去があるんですけど。


見つけたんです。最近。そのブログの人。


本当に偶然。別に探してもない。つーか気付くまで忘れてた。
喪女で、現在三十●歳で、面白い。そんな人他に、いますかっていねーか、はは。
忘れてたけど仕事は看護師だったなみたいな事もだんだん思い出してきたりして、なんならもう町で偶然元カノに会ったみたいな雰囲気になってきたけど大丈夫?

十中八九あの時のオアシスだって、確信したわけです。
実は有名な人らしいので知ってたらこれだけの情報でもピンとくるでしょう。まあ、そう。あの人。
加藤はいねさんっていうんですけど。
ここだけの話ちょっと今回文章雰囲気だけ真似てみたんだけど、どう?似てる?
あっ、似てない。
うん。

そんなわけで、運命の再会っつーの?ぶちかましたわけ。


まさか人生初(かつ最後)の運命の再会の相手が面白三十●歳喪女ブロガーとは思わないよね。会ってもいねーし。

まあ正直、昔読んだことあるつっても何年前だかさっぱり思い出せないし、なんなら記憶が曖昧過ぎて別の何かと間違えてるんじゃねーかって不安も無きにしもあらずなんですけど。


でもね、なんかあるんですよ。


独特の文体に感じる懐かしさみたいな。前前前世からのなんかみたいな。
もしかしたらあの時自分が読んだブログとは別のブログかもしれない。
あまりにも記憶が遠くてハンドルネームにも見覚えがない。
でもわかるんです。書いてるのは彼女だって。
(※後日調べたらやはり以前自分が読んだのは加藤はいねの現在閉鎖された別ブログであることがわかりました。更新日時からしておそらく大学時代に読んだ模様)


もうね、気分は瀧君と三葉ちゃん。


つい、言ったよね。
君の名は。」つって。
映画と違うのは、完全無欠の一方通行ってとこですけど。

よく覚えてないけど、全然変わってない。
あの時口角の隙間からフヒュッwとかなんとか漏らしたあの感覚。
きっと、この変わらなさがぼくたちを引き寄せたんだと思う。
相変わらず処女でよかった。
よくねえよ。


こんな面白いのになんでこの人モテないのって思うじゃん。思うの。
他人のモテるモテないをどうこう言えた身分じゃないんですけど、まあそれはとりあえずおいといて。


そりゃ、男女のアレなんて「※ただし」みたいなとこあるよ?
三十●年間彼氏無しなら、まあなんていうかその、なんていうか、その、あれかもしれない。
いや、でも、あの、世の中には必ずしも「※」というわけでもないカップルなんて山ほどいるわけで。
ちなみに加藤はいねでググって出てくる画像は本人じゃないらしいっすよ。

まあとにかく、えっと、その、うまく言えないけど、もどかしい気持ちになるわけですよ。


なんで?って。


ただ面白いだけじゃなくて、変な魅力っていうか、応援したくなるっていうか。
なんならもう好き?みたいな?
なにしろ運命の再会相手だし。
軽く(ブログサービスの)前世越えて会いに来ちゃったし。
いやまあ、実際付き合えるかっていうと、無理だけどさ。
いくらぼくが彼女と似たり寄ったりのモテなさだとしても、選ぶ権利はある。
トイレでうんこ爆発させる女はちょっとね。


もし仮に、万が一、何らかの手違いで、うっかり、加藤女史に三十●年越しの春が来た場合。
たぶん、今みたいな切れ味はもうなくなっちゃうかもしれない。


恋人ができたツイタラーも軒並みつまらなくなるアレ。
なんつーのかな、牙が抜けたっていうか。
だけど、どんなに鈍っていたとしても、彼女のあのセンスでもって綴られる


「来ました」


みたいな話を、待ち望んでる。
なんとかこう、幸せになってほしい。
下半身の糸守町いつまでも守っとる場合ちゃうぞ、と。
はよ誰かのティアマト彗星つかまえろや、と。
密かに応援せずにはいられない。


そういうよくわからん魅力が加藤にはある。
もはや好き過ぎて呼び捨ても致し方無しみたいなとこあるよね。
一回り近く年上だけど。
まあ新人と肩並べて怒られてる加藤だから。若い若い。


それにほら、うんこ爆発女ですらなんとかなるなら、もしかしたら自分も、みたいな励みになったりさ。
瀧君や三葉ちゃんみたいな美男美女じゃなくても。
どんなモテなくても、ひとりくらい、いるかもしれないじゃないですか。
ナントカの相手ってやつが。
白馬の王子様とまではいわない。
前前前世から探してなくたっていい。
徒歩の村人とかでいい。鏡ぐらい見たことあるよ。
それでもさ。


それを彼女には証明してほしい。


まあ、ぼくの運命の相手チケットはそのうんこ爆発女に使っちゃったんで、もう無理かもしれないですけど。

課金ラインの向こう

 最近読んだ漫画の話します。

『秘密のレプタイルズ』
 Web漫画サイト「裏サンデー」にて連載中の爬虫類漫画。
 裏サンで公開されている1話を読み、「マンガワン」とかいうアプリで続きを読み、面白かったので単行本も買った。極めて理想的なWeb漫画のビジネスモデルに乗せられました。ありがとうございました。
 サラリーマンの主人公が一時の癒しを得るべくフラリと立ち寄ったペットショップで、頭のおかしい爬虫類マニア店員に捕まり爬虫類の魅力に飲み込まれていく話。カエルもいるよ。
 品種や飼い方の解説が詳細で、普通に飼育入門漫画として使えそうでありつつ、ラブコメ?ギャグ漫画としての面白さもしっかりしているという、1粒で2度美味しい感。爬虫類に寄りすぎてしまうと本当にただのハウツー漫画になってしまいそうなところ、いい具合にバランスが取れている。ギャグセンスがネット慣れしてるというか今風で読みやすい。作者自身が爬虫類飼いのひとで実際の知識や経験がそのまま生かされているのも、読みやすさの理由かもしれない。いつか絶対に飼うぞ。
 余談だけど噂によるとこの人元々はエロ漫画描いてたらしくて、ググってみたら普通にめちゃシコでした。ありがとうございました。
 
『堕天作戦』
 上記のように裏サンデー掲載作品はマンガワンというアプリの中でなら全話読むことが出来る。そのアプリ内で適当に暇つぶしに読んでみたら面白かった。面白かったので単行本買った。ビジネスモデル乙。
 魔法を使う魔人と科学を使う人間(旧人)が戦争をしているはるか未来の世界で、失われた超科学文明の遺産である「不死者」がなんかフラフラする話。戦争の道具にされ精神が死んでいたところ、ある出会いをきっかけにこころが生き返り、どうやって生きていこうかと考えながら輪切りにされたり粉々にされたりする。主人公の「不死者」以外にも主役級のキャラクターが複数おり、それぞれの視点でそれぞれの物語が進む。
 「人魔の対立」も「不死者」も昨今ありふれた題材であるけれども、世界観がユニークで非凡なものを感じる。設定厨歓喜。一読しただけでは何が何やらという感じだが、話の中で徐々に明らかにされていく作りがうまい(まだほとんどわからん)。「堕天作戦」というタイトルの意味が明かされるシーン好き。ファンタジーものかと思いきや読み進めていくとド定番のSFの香りがしてくる。全体的にグロくて暗くて重い。不死ゆえに天然ボケ入ってる主人公がかます不死ギャグ(ギャグではない)が一抹の清涼剤。


 どうでもいい話します。

 裏サンデーと言えばアニメ化もした『モブサイコ100』等を代表作とする大手漫画サイトで、割と初期から読んだり読まなかったりしてた。一時は掲載作全部チェックしてたんだけど、飽きちゃって今はモブサイコとケンガンアシュラだけ楽しみ。
 裏サンは対抗馬の「となりのヤングジャンプ」と違って初期数話と最新話しか読めなくて「読みたい?じゃあ本買ってね」という姑息な効果的な手法を採ってるんだけど、実際ぼくみたいに買ってる人間がいる以上ビジネスとして成立はしているんだろう。一応アプリ内で全話無料なんだけど、ソシャゲのスタミナ的概念が導入されてて上手いなーと思った。「1話読むのに1消費、無くなったら回復するまで待つか課金」みたいな。それで1回読んだ話も後から再度読むときはまたスタミナ消費するので、実質無料とはいえ読みづらく、面白いなら買ってしまえとなる。買った。

 無料で読めるのに敢えて単行本を買う。別に変な事じゃないんだけど、改めて考えると自分の中で「これはお金出してでも読みたい(ほしい)」という一定のラインを持つことは、精神衛生上大事だと思った。ぼくみたいに物事への興味関心が薄いと、ただでさえ空っぽな人生がますます空虚になっていく。アニメなんて録画すればいつでも見れるのにBlue-rayを買う(高い)。ライブでも物販とかぶっちゃけ要らないんだけど一応パンフとか買う(邪魔)。「お金を払ったという事実」「お金を出して買ったモノ」はぼくに語りかけてくる。キミはこれが好きなんだよ、キミが大事にしたいものはこれだよ、と。そうやって自分に呪いをかける。ぼんやり生きていると自分が何を求めているのか、何を好んでいるのかすら見失ってしまうから。

眼からレーザー

 2016年をアレするアレです。

■邪眼(左)
 とにかく眼球に苦しめられる1年だった。すっかり慣れた入院生活。慣れたくなかった。
 発端は春先、なんか左目の視界が狭いなと感じた。疲れてるんだと思った。よくある。前職時代、ピントが合わなくて文字が読めない、みたいな状態に突然なったことがあって退勤したら治ったんだけど、どう考えてもストレスのせいだったと思う。そのときと似たようなもんだと思った。
 これは疲れやストレスではないっぽい、と自覚してから病院に電話するまで2週間かかった。面倒だったので。冷静に考えてただの馬鹿なんだけど、最悪片目が見えなくなっても死にはしないし、って本気で思っていた。さすがに両目失明は嫌だな~怖いな~とは思いつつ、片目くらいなら許してやろう、みたいな。これも本当に馬鹿なんだけど片目がダメになるような人間がもう片方も無事で済むはずがないとなぜ思わないのか。
 さすがに常識も残っていたので病院には行った。速攻で紹介状、大学病院予約割り込み、即手術決定。ありがとうございました。

 2週間渋ったのが地味に効いた。μ’sのファイナルライブに入院見込期間が被る。マジで死のうと思った。正直手術決定より遥かにショックだった。結果から言えば、経過良好によりライブ2日前に退院した。奇跡としか言いようがない。術後の安静を口実に会社を休みライブビューイングを観に行った。眼帯付けて。馬鹿とでも阿呆とでも好きに呼べばいい。おっしゃるとおり馬鹿です。もしLVではなくさいたまスーパーアリーナのチケットが当選していたら、退院が間に合ったとしても断念せざるを得なかっただろう。さすがの馬鹿も退院2日後に「ちょっと用があるんで東京(さいたま)遊びにいきまーす」とは言えない。
 そもそも病院に行くのが2週間早ければ、入院も短く済んで費用を抑えられたかもしれないし、ライブにも影響無かったし、会社にかける迷惑も減らせたと思う。その点は素直に反省している。病院は早めに行こうね。自分の身体はどうでもよくても、意外と他にあちこち影響があるものだ。どうしても病院に行きたくなければ、死期を悟った猫のように失踪して、死体が発見されない方法で死ぬしかないのではないか。中途半端に愚図ると自他ともに被害が増える。

 意識を保ちながら眼球の中身をいじくられるのは結構貴重な体験だった。この期に及んでまだ呑気なことを言ってる。もちろん施術中視力はほとんど無いんだけど、光は感じるしなんか棒とか突っ込んでゴソゴソやってるのもなんとなくわかる。筋肉を引っ張る?みたいなことをするときだけやけに痛い。術後もかなり痛みが続いて、痛み止めの座薬まで入れたのに一晩中脂汗流して唸る羽目に。リアル俺の邪眼が疼く…!状態。

■魔眼(右)
 で、夏前頃ふうやれやれちょっと視力は落ちたけど治ってよかったね、というところで、反対側の眼もアウトを食らう。こっちは自覚症状が全くなかった。もうどうにでもして。
 今度は致命傷を回避できなかった。南條愛乃バースデーライブに入院が被る。μ’sにしろ南條さんにしろ、チケット取ってからブッキングしてくるのやめてもらえませんか。日程をずらしてもらいたかったが、治るとはいえほっとくと進行する類いのやつだし、仕事のスケジュールとの兼ね合いもあり、諦めるしかなかった。流石に奇跡は2度も起きない。1度目があったので、すぐ受け入れた。南條さんの誕生日は来年だって来る。泣いたけど。
 今度は手術方法が違うらしい。局麻でやると死ぬほど痛いからねなどと脅されながら全身麻酔となった。人生初全身麻酔。正直ちょっと怖かった。話には聞いてたけどすごいねアレ。スッて落ちてサッと目醒めた。起きた直後全身がぶるっぶる震えて「あ、やっぱり死ぬん?」ってなった。すぐ治った。

 このようにして目からビームが撃てるよう改造したわけだが、手術直後は低下した視力もなんか意外とじわじわ戻ってきて、今はおおむね元通り。現代医療すごい。色々人工物が入れてあるのでサイボーグと言っても過言ではない。やったぜ。実際は預金口座が大変なことになったし有給も死んだし足りなくて欠勤して収入も減ったしなにひとつやったぜじゃない。夏の終わりにはツキイチの通院だけになったけど、もう前半だけで2016年はお腹いっぱいになった。

ラブライブ!
 ついに終わる。未だにファイナルライブのブルーレイは観ていない。別に観たら自分の中の何かが終わるとかそういうセンチメンタルなアレじゃないけど。単に気が向かない。両日で10時間ちかくなるので、どうせ観るならきちんと時間を作り気持ちを整え正装して正座して観なければなるまいと思っている。そんなタイミングが一向に来ない。サンシャイン!も始まったが、Aqoursの皆さんがどんなに可愛くても、アニメの出来が良くても、もう以前ほど心動くことはなくなった。理由は特にない。たぶん、この理由のなさが恋とかそういうアレのやつなんだと思う。アレのやつ。サンシャイン!のアニメも違った意味で魅力的というか興味深かったので、録画を観直したいとは思っている。いつか。そのうち。

■ゲーム
 FF14は相変わらず。ついに零式(いわゆる高難度レイド)に手を出し始めてしまい、準廃人の域に片足を突っ込みつつある。吉田の言うところのミッドコアかな。ファンフェスティバルという一大イベントについては既に述べたとおり。
 今年はあまりゲームを買わなかった。「今年は」じゃなくて「今年も」だった。オーバーウォッチとFF15ぐらい。割と楽しい。年末休みは14ちゃんでは零式以外あまりやることがなさそうなのでFF15をやろうと思う。スマホゲーは軒並みやめてしまった。スクフェスすらも。ああいうのはコツコツ継続することが前提の設計で、いったん離れると急激にやる気がなくなってしまう。「コツコツ継続」が根本的に向いていない。

■総評
 人生ゲームでいうところの「1回休み」みたいな年だった。1回と言わず3回くらい休んだし所持金もめっちゃ減った。前半で精根尽き果て金もなくなり、後半は消化試合流してる感じ。終盤はだいぶ立て直してよっしゃやったるかって気持ちにはなった(気持ちだけ)。
 来年の抱負は無病息災です。
 

FINAL FANTASY 14 FAN FESTIVAL 2016 TOKYO

 ファイナルファンタジー14ファンフェスティバルに行ってきました。

 普段身の回り(現実)にゲーム仲間がいないので、この会場に集まった数千人が全員自分と同じゲームをしている人間かと思うとなんとも奇妙な気持ちになりました。
 一緒に行ってくれた3人は本当にありがとう。楽しかったです。はくさんは来られなくて残念。また今度絶対遊びましょう。今度ていつになるやら。

 

基調講演
 新ジョブ赤魔道士が初公開。キャスメインの者としては必ずマスターしたいところですが、どうせみんなやりたがるので実装直後はIDで赤赤になりまくる予感。もう1ジョブ来るからそっちに流れてくれ。スパイダーマンサム・ライミ=侍ってマジなん?
 黒魔のエーテリアルステップがお気に入りなので(いつも笑われてますが)、遠距離近距離をシュッ!シュッ!て移動するのがめちゃくちゃ楽しみです。笑うなや。
 水中アクション楽しそうですね。メインの遊びはバトルだと思いますが、FF14はそういうところ以外にも普段からかなりリソースを割いてる印象があります。ゲームが得意な人、零式を目当てにしている人からしたらそういうのよりレイドをもっとなんとかしろとか思うのかもしれませんが(わからなくもないですが)、ネトゲは人口がいてナンボみたいなもんですから、カジュアルな層にも受け入れられるようにするのは非常に大事だと思います。その結果得意なひととの間に摩擦が起きたりする問題もありますが、どちらかを切り捨てたりせず共存できるゲームになったらいいですね。
 最近は零式ばっかやっててそういう生活系から遠ざかっているので、知らずにこころが殺伐としてないか、少し我が身を顧みなければいけないかもしれません。

大陸横断アルテマクイズ
 後半の鬼畜問題がヤバかったです(コナミ)。小ネタとか世界設定とか集めるのも好きなんですけど、やっぱり最近は零式ばっかやっててそういう(以下略)
 6番チームと同点優勝した5番チームがいい歳した渋いおっさんペアで面白かったです。むしろカッコイイ。ギャザクラに自信有みたいでしたけどあんまりギャザクラ問題出なかったのが同点タイにとどまった原因でしょうか。いろんなひとがいるんだなあと思いました。

第34回PLLとガラパゴス化する光の戦士
 『光のお父さん』ドラマ化決定!やったー!!ついに「実はあのドラマのゲーム結構やってんすよねwあのツインタニアってやつも倒したんすよw」つってウザがられたい願望が現実のものに。おう絶対みろよ。俺をウザがれよ。ついでに14始めろよ。俺が育てたるけん。今から始めれば6月20日発売の拡張ディスク『紅蓮のリベレーター』に間に合うよ!(宣伝)
 割と真面目な話、すごいことだと思います。知らないひとは「光のお父さん」でググってください。長いけど頑張って読んで。面白いので。
 題材が「オンラインゲーム」という一般的には白い目で見られがちなモノだけに、放送してもあまり評判は良くないかもしれない。ぼくらのような一部の人間にしかウケないかもしれない。でも、たとえヒットしなかったとしても、前代未聞の試みが成功したことには違いないでしょう。逆にもしこれが広く認められたなら。色々と期待してしまいますね。放送は拡張ディスク直前だし。アニメではなく実写ドラマでやる意味もそこにあるのかもしれません。

 FF14は比較的ユーザー層の幅が広めな印象なんですが、こうやってより多くの人に知ってもらうことで、今まで以上に(オンライン)ゲーム慣れしていないひとが増えて、プレイスタイルの違いによる摩擦がさらに増えるのではないか。そんな心配も少しあります。一時的に人が増えても、楽しさに触れる前によくわからずたくさん辞めてしまって結果不評だけが残る、みたいな事がないとは言えない。ぼく自身も当初ネトゲは不慣れで、もし師匠がいなかったら、あるいは南條愛乃さんがいなかったら、レベル50になる前に辞めていた気がします。序盤の心細さとわけわかんなさはハンパないですからね。でも大丈夫。Hadesサーバーならぼくがいますよ。Hadesいいとこ一度はおいでよ。
 『光のお父さん』シリーズは親孝行の話でもありますが、「(オンライン)ゲームってそんなに悪いことばかりじゃないよ」という“一般的には白い目で見られがちな”風潮へのアンチテーゼでもあります。そういうところがうまく伝わるといいなと思います。ぼくもゲームを通してこうやって大切な友達ができたわけだし。元の友達が少ないから増加率がヤバい。

プロトアルテマ討滅戦改めコンフィグ討滅戦
 未実装の24人蛮神戦をデモ体験。のはずがホットバーやらHUDやらの設定との戦いがほぼメイン。FF14の良さのひとつがこういう操作のカスタマイズ性の高さなんですけど、逆にそのせいでみんな思い思い個性的な画面レイアウトで遊んでいるため、デフォルト状態だとまともに戦うことができない。5分間与えられた準備時間内に全部直すのは不可能なので、いかに即興で使えるようにするかという新感覚のゲームでした。ある意味真のプレイスキルを試された感ある。
 全滅2回くらいで圧倒的「勝てねぇ」感が漂ってましたが、時間切れ前ラスト1回で無事撃破。やったぜ。おそらくプロトアルテマ自体の難易度は自キャラなら余裕のレベルだったと思いますが、上記の特別ギミック?もあってまるでレイド初クリアのような達成感がありました。名も知らぬパーティーのみなさん、ありがとう。噂によると討伐率は3割程度らしいので、良いPTだったんだと思います。ひとの動きみてる余裕なかったからわかんないけど。
 普段は自室でネット回線越しにいろんな人と遊んでますが、顔が見えるところで一緒にゲームをして、倒したらみんなが歓声を上げたりして、64でスマブラとかやってた頃の楽しさを少し思い出しました。


 他にもコスプレコンテストとかピアノライブとか色々ありました。フロアアクティビティもたくさんあったんですけど、結局お絵かきしかしてない。見れてないところは多いですけど、十分すぎるほど楽しかったです。自分は1日目だけでもへとへとになったので、両日参加のみなさんは本当にマジでお疲れ様でした。2日目のバンドライブ聴きたかったな。
 今年はあまりいい年とは言えませんでしたが(毎年言ってる)、年の瀬に楽しい思い出ができてよかったです。またエオルゼアでお会いましょう。
 

Experience tranquility.

 『OverWatch』というFPSを時々やるんですけど、FPS未経験のぼくでもそれなりに楽しく遊べる(ランクマッチは除く)カジュアル寄りのおもしろいゲームです。オムニックの反乱により勃発したオムニック・クライシス。その戦いを終結させるため結成された精鋭集団オーバーウォッチ。終戦後彼らは何者かの陰謀により犯罪者とされ組織は解体してしまうが、新たな戦乱にヒーローたちは再び立ち上がる―――。みたいなストーリーのもとでバシバシ戦います。よかったら一緒にやりましょう。PS4版ですよ。
 使用できるヒーローの多彩さが売りの一つだと思うのですが、ぼくはオムニック僧のゼニヤッタというヒーローをよく使います。オムニックというのは作中に登場する機械生命体の総称で、要するにアンドロイド、ロボットです。ロボットの僧侶って、クソカッコよくないですか。ビジュアルも超クール。身体の周りにオーブが浮いててそれを飛ばす。手でスッ…印を結んだらリロード。カッコよすぎでは?

 この「機械でできた僧侶」に通じる、大変興味深い文章を読みました。

【寄稿】ブッダの教えを学んだ人工知能が誕生したとき仏教の未来はどうなるか? | 仏教なう | 彼岸寺

 この彼岸寺なるお寺さんも非常に気になるところではあるんですが、とりあえずそれは置いといて、釈迦Alphaの話がとても面白い。僧侶を通り越して仏陀まできちゃった。内容の濃さもさることながら、実に読ませる文章です。以前ネットのどこかで見た、お悩み相談を一刀両断するゲーマーのお坊さんの話もめちゃくちゃ面白かったですけど、なんかこう、面白いですよね、お坊さん(語彙不足)。坊主ってすげえ。
 これを読むと、釈迦Alphaが決して夢物語ではない、いつか実現可能性の余地がある話であるように思われます。人工知能に仕事を取られちゃう!みたいな話は枚挙に暇がなく、ぼくなんかの事務仕事はおそらく真っ先に奪い取られる筆頭候補なんじゃないかと思うんですが、芸術などのクリエイティブな分野に関しては、やっぱり人間だよねー的な風潮も根強いと思われます。宗教も芸術同様にAIから遠い、人間領域のモノだという印象だったんですが、半導体素子はそんな勝手な想像など軽く飛び越えてしまうのかもしれません。芸術や文化ですら、映画の脚本を作るAIに触れられているように既に一部では実現しているのです。そんなことやって遊んでる暇があったらまずこの税金とか控除とかの事務処理用人工知能をさっさと作ってくれと思いますが。今一番忙しい時期です。雇用の喪失?知るか、働きたくないでござるゥー。
 “少なくとも言えるのは、私たち僧侶は「機械」になってはいけないということだ。”とありますが、今となっては「人間にしかできないこと」を探すのはけっこう大変で、ぶっちゃけ「機械になって」しまったほうがはるかに楽なんですよね。仕事にしろプライベートにしろ、定められた路線に沿って動くことはとてもストレスフリーです。何も考えずぼんやり生きるならばそれはもう機械に限りなく近いし、たとえ自分の頭でいろいろと考えていたとしても、思考すらもはや機械に太刀打ちできない、そういうこともあり得るでしょう。じゃあどうすれば人間でいられるのかと言えば、つまり“不完全”であること、なんでしょうか。そう考えれば、人間の様々な愚かエピソードも人たる証みたいに思えますね。ぼくは機械で良いですけど。
 個人的には「機械みたい」というのは悪口でもなんでもないと思っているので、何も考えずぼんやり生きることは積極的に肯定していきたいところですが、残念ながら人間社会は大変複雑なので、そうお気楽にやってもいられないのがつらい所です。
 
 別に仏教徒でもなければなんらかの宗教信者でもありませんから、ぼくは無責任な外野の立場からこの話を読んで「これゼニヤッタじゃんカッケー」などとノーテンキなことを考えているだけです。一方これを書いたひとは本職のお坊さんなので、機械の伝道者が本当に現れたとき、我々人間の坊主はどうあるべきか、という問題提起を真面目にしているわけです。もちろん今すぐどうこうということはないでしょうが、いざそれらしき存在が世に出てから考え始めるのでは遅いわけで。その姿は、まさに人間とオムニックの共存と調和を目指して戦うゼニヤッタそのものではないでしょうか。

 ぼくは以前違うところで書いたように機械フェチAIフェチなので、人工知能に仕事を取られて失業するなら本望ですが(働きたくない)、釈迦Alphaと人間のお坊さんが協力して織りなす新しい仏教もぜひ見てみたいものです。

想像力から世界を作る

 「僕の魔界を救って!」(通称僕まか!)というスマホゲームにハマっている。ハマっていると言っても2分触って数時間放置みたいなゲームなので忙しくても安心。別に忙しくないが。今やゲームといったらFF14とこれ以外全く触らなくなってしまった。
 プレイヤーは人間に魔界を奪われた没落魔王。ゴブリン1匹しか味方がいないどん底から、魔界を取り戻す戦いが始まる…という話。作戦と時間を決めて手下を送り出し、領地や捕虜を奪還してくるのをハラハラしながら待つ。帰還時間までひたすら待つ。以下繰り返し。
 説明だけだと何が面白いのかさっぱり伝わらないんだけど、自分でも何が面白いのかよくわからない。どんなに育てたユニットでも死ぬと永遠に失われる、そういうシビアな緊迫感のなかで部隊が生きて帰れる采配を手探りで模索するのがゲーム性なのだと思う。ユニットの種類も豊富なのでコレクション感覚でも楽しめる。最近FF14に実装された冒険者小隊がもっと複雑になった感じ。
 スマホ本体の設定画面のようなUI、アクション性なし、ユニットのイラスト等もなし、ペラペラ会話イベントもなし、主人公である魔王の味わい深い独白がちょこっと。非常に想像の余地があるゲームである。昨今の萌え萌えイラスト付きでいちいちフルボイスで喋るゲームに圧倒されるおじさんなので、まるで往年の個人製作ブラウザゲームのような温かみと懐かしさが心に優しい。子どもの頃部屋にあるいろんなものと会話していた身としては、こういう想像力を失わないようにしたい。えっ?独り会話遊びとか、したよね?
 
 先日初めて行くダンジョンに様子見がてら1時間半の作戦(長い時は10時間以上いくので短い方)で斥候隊を出したら、手塩にかけて育ててきた主力メンバーの一部もろともあっさり全滅してしまった。そこの土地の特性(得意属性以外は防御力低下)を甘く見たのと能力アップアイテムをケチったのが原因だった。そこまでかなりサクサクで進めていたので、油断していた。魔王であり指揮官であるぼくの傲りが、優秀な部下たちを殺したのである。すまん、ベルゼブブ(Lv.10)、ニーズヘッグ(Lv.11)他数名…。
 という風にうしなって初めて気づくなんちゃらってやつなのだが、ぶっちゃけ他のプレイヤーが売却した強いユニットを金払って雇えるし、というか主力の半分以上はそういう傭兵だし、我が魔王軍としては取り返しの利くレベルの損害である。それでもこの心を穿つ痛みは、何処から来るのか。単にぼくがセンチメンタリストだからだと言われればそれまでなのだが、たぶんこのゲームの極限までシンプルなデザインが逆に想像力を掻き立てる、みたいなところもあるのではないだろうか。このゲームではユニットの名前を自由に変えられるのであるが、今回ぼくの不徳の致すところにより殉職したユニットたちにもしなにか固有の名前でも付けてたらまじでお葬式してたところだった。テーブルトークRPGなんかはそういう想像を土台にして成り立つ遊びなのでは?やったことないけど。やってみたいけど会話しないといけないから怖い。


 些細な話なんだけど、そういう想像力をちょっと働かせることで楽しくなるものってあると思う。最近のゲームはどれもこれも美麗グラフィックでシステムも至れり尽くせりでコンフィグも懇切丁寧と来ているが、そのせいかちょっとした不具合や不満点もすぐ目に付く。むしろこうディティールをそぎ落としたものから空想する余裕があると、心穏やかに、なおかつちょっと豊かに遊べるのではないかと思うのだがどうだろうか。
 

剣の道は人の道

 ぼくは物事を長く続けるのが苦手で、今までの人生で最も長くやったのは剣道なんだけどそれは親の強制だったため、ずっと嫌々通っていた。本当に泣くほど嫌だった。泣いたしゲロも吐いた。当時通っていた道場の師範もそのへんは見抜いていたみたいで、ことあるごとに「継続は力なり」という格言を引き合いに出して(おそらく励ますつもりで)暗にやめるなよと言われていた。確かに基礎体力とか忍耐力とか得られたモノはあるんだけど、それらを帳消しにして余りある積年の苦痛と恐怖が思春期のやわらかな心に刻まれてしまった。その結果として逆説的に「継続は力にならない」という正反対の認識が深層意識に刷り込まれたがために、今現在の熱しにくく冷めやすい何も長続きしない人格が出来上がったというのは根拠のない言いがかり以外の何物でもないが何か関係していると思いたい。人のせいにしたい。ぼくちんわるくないもん。

 もちろん、件の格言が間違っているとは全然思わないし、親や師範を恨んだりもしていない。基本的には何かを長く続けることは良いことだ。良いことだと思うからこそ、長続きしない自分を反省しているのだ。ただまあ、やっぱり何事も相性というのはあって、正直言ってお互い竹の棒でぶっ叩きあうという行為と自分の性格気質には、マリアナ海溝より深い溝があると思う。当時親は身体が細く体力も無さげな(残念ながら今も変わっていないが)ぼくが少しでも健康になるようにと願って、ついでに礼儀礼節とかも学んでほしいということで剣道をやらせた、と聞いた。本人(ぼく)の了解もあったらしいが覚えてない。小学1年生のそれも人見知りでおとなしい児童が親の言うことに逆らえたわけがないと思うので、正直ほぼ強制だと思う。何度も言うが別に恨んではいない。当時は近所に神社があれば釘打ちに行きそうなくらい内心呪いまくってたんだけど、今はない。たぶん毒が全部抜けた。そういえば剣道を辞めて以降怒鳴ったりブチ切れたりした記憶がない。抜けちゃいけないものまで抜けちゃった…?

 剣道を「お互いを竹の棒でぶっ叩きあう」などと表現すると非常に怒られそうだ。剣道は野蛮なスポーツに非ず、自己鍛錬と人格形成の「道」であって、ぶっ叩きあうことが本質ではないのだから。……と教えられたんだけど、正直言っていいスか、いや、あくまで感想なんスけど、ただのスポーツっスよほぼ。
 批判するものではないと言い訳したうえでの個人の感想なんだけど、実際やってて何が重要視されてたかっていうとやっぱり「勝つこと」なんだよね。やるからには勝ちたいっていうのは至極真っ当なことなんだけど、子ども目線ではどう見ても「人格形成」より「勝利」の比重のが遥かに大きかったように思う。子どもだからしょうがない、で済むかと思ったら指導者の大人もそういうスタンスが珍しくなかった。そこには鍛錬だとか清らかな心だとかそういうのはまるでなく、とにかく何を犠牲にしても勝利が第一だった。それが悪いとは言わないが、スポーツならスポーツって言えばいいのに中途半端に高潔な事を言ってるのが、子ども心に(子どもゆえに)ものすごく卑怯で醜く見えた。勝利を追求することが清く正しい人格形成なのだ、と言われてしまうと何も言えないが、いやそういうこっちゃないと思うんだがなあ。当時自分は下手ではなかったと思うけれど、元々の身体能力で劣っていたし内心嫌々やっててそう勝てるわけもなく、それもまた否定的な心象に一役買ったのだと思う。どうせなら柔道みたいにスポーツライクに開き直ればいいのに。伝統とか色々あるのか知らんけど。
 しかし、これまた逆説的にこの「卑怯で醜く見えた」という当時の印象が、結局ぼくの人格形成に大きく影響を与えたのではないかと思われる。「勝ちにこだわる」ことと「卑怯で醜い」ということが線で繋がってしまって、結果的に今のぼくは物事の勝ち負けを決めることに嫌悪感を抱くようになってしまった。付随して闘争心や向上心の減退が発生し様々な面で不利益が生じている。…というのは根拠のない言いがかり以外の何物でもないのだろうか、やっぱり。
 
 しつこく繰り返すけど、親や剣道を糾弾したいわけじゃない。当時の親はマジでムカついたし剣道経験はトータルで見てプラマイゼロむしろマイだと思ってるけど、それはそれこれはこれだ。親には感謝しているし剣道をやっていて素晴らしい人格者の方もたくさんおられると思う。
 正直こんな自己分析なんて屁のツッパリにもならない。ぼくは心理学の専門家じゃないし。ただ、自分の(特にあまり好ましくない)性質が誰かのせいで生まれたんだと思うのはとても楽なんだよね。だってぼくわるくないもーんって。
 自分のことなので上記の剣道に関する分析は当たらずとも遠からずなんじゃないかとは思うけれど、人のせいにしたところで何にもならない。かと言って自分を責めても苦しいだけで良いことはない。つまり、誰かのせい自分のせいなどと言った責任の擦り付け合いは何も生まないのだ。大切なのは今あるものを受け入れること、これからどうするかを考えることなのである。

 そう、争いはやめよう。他人に対しても自分に対しても。平和、イチバン。俺、オ前、ナカヨシ。勝チ負ケ、キメル、ヨクナイ。カチ、マケ…オゴ…ウググ…(幼少期のトラウマから抜け出せない例)