聲の形、感想の形

 映画『聲の形』観た。『君の名は。』と似たような系統だと勝手に思い込んでたので観る気なかったんだけど、良い作品だった。一緒に観た友人曰く『君の名は。』がワンピースだとしたら『聲の形』はハンターハンターだそう。『君の名は。』を観てないのでこの喩えがどの程度的外れなのかはわからない。外れてる前提かよ失礼な。

 異質なもの理解できないものに対して攻撃的になるというのは、ありがちな話だ。いじめはよくないが、世界には厳然と存在していて、存在しているという事実はどうやっても消えない。そういう悪意に晒されて、極限まで自己肯定感を喪失し死を考えるご両人が、クソみてえな世界かもしれないけどでも生きるっきゃねえと気付く、あるいは覚悟する、そういう物語だと思った。映像としてはとても綺麗なラストを迎えているけれども、ビジュアルの割にそんなに明るいエンディングではないと感じた。めっちゃしんどい、きつい、でもそれでも、っていうそういうタフな話だった。

 はじめは西宮さんと結婚したいみたいな気の抜けた感想しかなかったんだけど、どうやらこれを「感動ポルノ」と見て批判する向きがあるらしい。ぼくは名作だとは思ったけれど別に感動はしなかったので、そういう捉え方があるということに恥ずかしながら思い至らなかった。
 一体どの辺が感動ポルノなのか果たして本当に感動ポルノなのかという話はあまりうまく言えない気がするので他に譲るけれども、どう見てもそうではなかろうというのが、率直な感想である。別にあれは恋愛の話でもなければ障碍の話でもない。必ずしも石田は救われていないし、西宮さんは恋だけしてるわけではない。いじめっ子が救われる酷い話だ!とか美少女障碍者がいじめらっ子に恋しちゃってきもい!とか言うてる方は多分気分悪くて途中寝てたんだと思う。まあしんどい映画だったことは同意する。
 たとえば、西宮さんが美少女じゃなかったとしても、あの話は何も変わらない。ぼくたちから見れば美少女であるけれども、石田やその他から見れば別に美少女ではないかもしれない。少なくとも劇中で美少女扱いされてはいない。なぜ美少女に描かれているか。不細工をずっと見てたら疲れるだろうが。冗談です。
 西宮さんは石田に好意を抱いていたようだけれども、本当にあれが恋愛的な意味での好きだったのか怪しいところだと思う。十代の、それも他者とのコミュニケーションに失敗してきた人間が抱く感情の誤謬なんじゃないかと疑っている。そうではなく純粋な好意だったとしても、作中で彼らがそういう関係になる描写はなく、一緒に出掛けたり文化祭に行ったりするのも決してそういう意味ではなかった。その後二人がそういう関係になるかどうかは二人の自由意思であって、同情や贖罪が入り込むものではない。その自由を手にしたということ自体に意味があるのではないか。
 障碍を題材にとってはいるけれども、いじめやディスコミュニケーションは健常者でもしょっちゅう起こり得るのであって、障碍者特有の事象ではない。あの作品が描きたかったことが「障碍者の苦悩」などではないことは明らかだ。それを「障碍者を道具にしている」などと言われると、まあ閉口するしかないんだけど、そこにわざわざ突っかかること自体、一種の差別ではないのだろうか。それならフィクションで描かれるありとあらゆるコンプレックスや人間の欠陥に対して同様に突っ込んで欲しい。

 個人的には、泣き叫んだり土下座したり殴り合ったりとかいった強烈な感情の発露に恐怖感というか相容れないものを感じたりもしたけれども、それはあくまで個人の感想の域を出ておらず、大声で触れ回るようなものではない。西宮さんや石田に嫌悪や憎悪を抱くのもそれと同レベルの話で、ようするに「あなたの感想でしょ」という話でしかない。別にどんな感想を持つのも勝手だが、それと作品の是非を直結させ「感動ポルノ」などという明らかな誹謗に結び付けるのはおかしいでしょう。それではキモいと思ったから悪口を浴びせかけたのと何ら変わらず、彼らがまさに糾弾するところの「いじめ」と一体何が違うのだろうか。