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剣の道は人の道

 ぼくは物事を長く続けるのが苦手で、今までの人生で最も長くやったのは剣道なんだけどそれは親の強制だったため、ずっと嫌々通っていた。本当に泣くほど嫌だった。泣いたしゲロも吐いた。当時通っていた道場の師範もそのへんは見抜いていたみたいで、ことあるごとに「継続は力なり」という格言を引き合いに出して(おそらく励ますつもりで)暗にやめるなよと言われていた。確かに基礎体力とか忍耐力とか得られたモノはあるんだけど、それらを帳消しにして余りある積年の苦痛と恐怖が思春期のやわらかな心に刻まれてしまった。その結果として逆説的に「継続は力にならない」という正反対の認識が深層意識に刷り込まれたがために、今現在の熱しにくく冷めやすい何も長続きしない人格が出来上がったというのは根拠のない言いがかり以外の何物でもないが何か関係していると思いたい。人のせいにしたい。ぼくちんわるくないもん。

 もちろん、件の格言が間違っているとは全然思わないし、親や師範を恨んだりもしていない。基本的には何かを長く続けることは良いことだ。良いことだと思うからこそ、長続きしない自分を反省しているのだ。ただまあ、やっぱり何事も相性というのはあって、正直言ってお互い竹の棒でぶっ叩きあうという行為と自分の性格気質には、マリアナ海溝より深い溝があると思う。当時親は身体が細く体力も無さげな(残念ながら今も変わっていないが)ぼくが少しでも健康になるようにと願って、ついでに礼儀礼節とかも学んでほしいということで剣道をやらせた、と聞いた。本人(ぼく)の了解もあったらしいが覚えてない。小学1年生のそれも人見知りでおとなしい児童が親の言うことに逆らえたわけがないと思うので、正直ほぼ強制だと思う。何度も言うが別に恨んではいない。当時は近所に神社があれば釘打ちに行きそうなくらい内心呪いまくってたんだけど、今はない。たぶん毒が全部抜けた。そういえば剣道を辞めて以降怒鳴ったりブチ切れたりした記憶がない。抜けちゃいけないものまで抜けちゃった…?

 剣道を「お互いを竹の棒でぶっ叩きあう」などと表現すると非常に怒られそうだ。剣道は野蛮なスポーツに非ず、自己鍛錬と人格形成の「道」であって、ぶっ叩きあうことが本質ではないのだから。……と教えられたんだけど、正直言っていいスか、いや、あくまで感想なんスけど、ただのスポーツっスよほぼ。
 批判するものではないと言い訳したうえでの個人の感想なんだけど、実際やってて何が重要視されてたかっていうとやっぱり「勝つこと」なんだよね。やるからには勝ちたいっていうのは至極真っ当なことなんだけど、子ども目線ではどう見ても「人格形成」より「勝利」の比重のが遥かに大きかったように思う。子どもだからしょうがない、で済むかと思ったら指導者の大人もそういうスタンスが珍しくなかった。そこには鍛錬だとか清らかな心だとかそういうのはまるでなく、とにかく何を犠牲にしても勝利が第一だった。それが悪いとは言わないが、スポーツならスポーツって言えばいいのに中途半端に高潔な事を言ってるのが、子ども心に(子どもゆえに)ものすごく卑怯で醜く見えた。勝利を追求することが清く正しい人格形成なのだ、と言われてしまうと何も言えないが、いやそういうこっちゃないと思うんだがなあ。当時自分は下手ではなかったと思うけれど、元々の身体能力で劣っていたし内心嫌々やっててそう勝てるわけもなく、それもまた否定的な心象に一役買ったのだと思う。どうせなら柔道みたいにスポーツライクに開き直ればいいのに。伝統とか色々あるのか知らんけど。
 しかし、これまた逆説的にこの「卑怯で醜く見えた」という当時の印象が、結局ぼくの人格形成に大きく影響を与えたのではないかと思われる。「勝ちにこだわる」ことと「卑怯で醜い」ということが線で繋がってしまって、結果的に今のぼくは物事の勝ち負けを決めることに嫌悪感を抱くようになってしまった。付随して闘争心や向上心の減退が発生し様々な面で不利益が生じている。…というのは根拠のない言いがかり以外の何物でもないのだろうか、やっぱり。
 
 しつこく繰り返すけど、親や剣道を糾弾したいわけじゃない。当時の親はマジでムカついたし剣道経験はトータルで見てプラマイゼロむしろマイだと思ってるけど、それはそれこれはこれだ。親には感謝しているし剣道をやっていて素晴らしい人格者の方もたくさんおられると思う。
 正直こんな自己分析なんて屁のツッパリにもならない。ぼくは心理学の専門家じゃないし。ただ、自分の(特にあまり好ましくない)性質が誰かのせいで生まれたんだと思うのはとても楽なんだよね。だってぼくわるくないもーんって。
 自分のことなので上記の剣道に関する分析は当たらずとも遠からずなんじゃないかとは思うけれど、人のせいにしたところで何にもならない。かと言って自分を責めても苦しいだけで良いことはない。つまり、誰かのせい自分のせいなどと言った責任の擦り付け合いは何も生まないのだ。大切なのは今あるものを受け入れること、これからどうするかを考えることなのである。

 そう、争いはやめよう。他人に対しても自分に対しても。平和、イチバン。俺、オ前、ナカヨシ。勝チ負ケ、キメル、ヨクナイ。カチ、マケ…オゴ…ウググ…(幼少期のトラウマから抜け出せない例)