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Experience tranquility.

 『OverWatch』というFPSを時々やるんですけど、FPS未経験のぼくでもそれなりに楽しく遊べる(ランクマッチは除く)カジュアル寄りのおもしろいゲームです。オムニックの反乱により勃発したオムニック・クライシス。その戦いを終結させるため結成された精鋭集団オーバーウォッチ。終戦後彼らは何者かの陰謀により犯罪者とされ組織は解体してしまうが、新たな戦乱にヒーローたちは再び立ち上がる―――。みたいなストーリーのもとでバシバシ戦います。よかったら一緒にやりましょう。PS4版ですよ。
 使用できるヒーローの多彩さが売りの一つだと思うのですが、ぼくはオムニック僧のゼニヤッタというヒーローをよく使います。オムニックというのは作中に登場する機械生命体の総称で、要するにアンドロイド、ロボットです。ロボットの僧侶って、クソカッコよくないですか。ビジュアルも超クール。身体の周りにオーブが浮いててそれを飛ばす。手でスッ…印を結んだらリロード。カッコよすぎでは?

 この「機械でできた僧侶」に通じる、大変興味深い文章を読みました。

【寄稿】ブッダの教えを学んだ人工知能が誕生したとき仏教の未来はどうなるか? | 仏教なう | 彼岸寺

 この彼岸寺なるお寺さんも非常に気になるところではあるんですが、とりあえずそれは置いといて、釈迦Alphaの話がとても面白い。僧侶を通り越して仏陀まできちゃった。内容の濃さもさることながら、実に読ませる文章です。以前ネットのどこかで見た、お悩み相談を一刀両断するゲーマーのお坊さんの話もめちゃくちゃ面白かったですけど、なんかこう、面白いですよね、お坊さん(語彙不足)。坊主ってすげえ。
 これを読むと、釈迦Alphaが決して夢物語ではない、いつか実現可能性の余地がある話であるように思われます。人工知能に仕事を取られちゃう!みたいな話は枚挙に暇がなく、ぼくなんかの事務仕事はおそらく真っ先に奪い取られる筆頭候補なんじゃないかと思うんですが、芸術などのクリエイティブな分野に関しては、やっぱり人間だよねー的な風潮も根強いと思われます。宗教も芸術同様にAIから遠い、人間領域のモノだという印象だったんですが、半導体素子はそんな勝手な想像など軽く飛び越えてしまうのかもしれません。芸術や文化ですら、映画の脚本を作るAIに触れられているように既に一部では実現しているのです。そんなことやって遊んでる暇があったらまずこの税金とか控除とかの事務処理用人工知能をさっさと作ってくれと思いますが。今一番忙しい時期です。雇用の喪失?知るか、働きたくないでござるゥー。
 “少なくとも言えるのは、私たち僧侶は「機械」になってはいけないということだ。”とありますが、今となっては「人間にしかできないこと」を探すのはけっこう大変で、ぶっちゃけ「機械になって」しまったほうがはるかに楽なんですよね。仕事にしろプライベートにしろ、定められた路線に沿って動くことはとてもストレスフリーです。何も考えずぼんやり生きるならばそれはもう機械に限りなく近いし、たとえ自分の頭でいろいろと考えていたとしても、思考すらもはや機械に太刀打ちできない、そういうこともあり得るでしょう。じゃあどうすれば人間でいられるのかと言えば、つまり“不完全”であること、なんでしょうか。そう考えれば、人間の様々な愚かエピソードも人たる証みたいに思えますね。ぼくは機械で良いですけど。
 個人的には「機械みたい」というのは悪口でもなんでもないと思っているので、何も考えずぼんやり生きることは積極的に肯定していきたいところですが、残念ながら人間社会は大変複雑なので、そうお気楽にやってもいられないのがつらい所です。
 
 別に仏教徒でもなければなんらかの宗教信者でもありませんから、ぼくは無責任な外野の立場からこの話を読んで「これゼニヤッタじゃんカッケー」などとノーテンキなことを考えているだけです。一方これを書いたひとは本職のお坊さんなので、機械の伝道者が本当に現れたとき、我々人間の坊主はどうあるべきか、という問題提起を真面目にしているわけです。もちろん今すぐどうこうということはないでしょうが、いざそれらしき存在が世に出てから考え始めるのでは遅いわけで。その姿は、まさに人間とオムニックの共存と調和を目指して戦うゼニヤッタそのものではないでしょうか。

 ぼくは以前違うところで書いたように機械フェチAIフェチなので、人工知能に仕事を取られて失業するなら本望ですが(働きたくない)、釈迦Alphaと人間のお坊さんが協力して織りなす新しい仏教もぜひ見てみたいものです。