『けものフレンズ』に揺さぶられる

 ここ数年、アニメは年平均1~2作程度の視聴に留まっているが、その全てが例外なく自らの趣味嗜好に照らして最高級の評価に値する作品であるという事実に、感涙を禁じ得ない。鼻炎で嗅覚を削がれた代わりに、何か別の嗅覚が発達したのかもしれない。
 その嗅覚が、今再びあるアニメに鼻孔をひくつかせている。さながら獣のように。

漂う荒廃の匂い

 『けものフレンズ』はその最高にキュートでラブリーな物語とは裏腹に、全編を通して底知れぬ剣呑な気配が微かに漂っている。
 たとえば、ジャパリパークにはセルリアンと呼ばれる謎の敵性生物(?)が存在しているらしい。初登場した小さな個体を難なくやっつけてただのドタバタ要素かと思えば、直後のボスっぽい大きな個体との邂逅においてサーバルちゃんはなんと「フレンズが食べられちゃった」可能性を示唆する。食べられちゃった!?可愛いフレンズが!?いきなりぶっこまれるリョナ的な予感に身震いするも、幸いそういった描写はなく大きなやつも協力して倒すことができた。が、食べられちゃったらどうなるのか、今後フレンズが食べられちゃう展開があり得るのだろうか、などと拭いがたい不安が胸に残る。このせいでこの後セルリアンが登場する場面はいつも、間抜けで楽しげな画面を眺めつつも、漠然とした警戒心が影を落とし続けることになってしまった。はやく真相を明らかにしてほしい。いや、やっぱりこわい、食べないでくださーい!
 また、ジャパリパークという世界についても様々な疑問が浮かび上がる。一見野生溢れる大自然のような場所でありながら、サーバルちゃんの口から突如「図書館」などという文化的な単語が飛び出す。どうやら図書館があるらしい。その後現れるランドマーク的な平たい物体は、どう見ても放棄され朽ち果てた看板である。このあたりでなんとなくジャパリパークとはなんなのか、おぼろげに察し始める。
 そして現れる「ボス」と呼ばれるいかにもマスコットキャラクターのような青い何か「ラッキービースト」。このボスとの対話によって、視聴者はかばんちゃんがフレンズとは異質な存在であるらしいこと、少なくとも過去にはパークが「来園する『人間』のためのアミューズメント施設」であったらしいことを理解する。後に登場する打ち棄てられたバスやロープウェー、埋もれてしまった地下アトラクションなどがさらにそれを裏付けていく。第4話、ツチノコちゃんと迷宮から脱出するシーンなどは、映画『ジュラシックパーク』のラストを彷彿とさせた。

メタ視点ジャパリパーク

 ジャパリパークが遺棄された世界であることはエンディングにも示唆されている。それまでのキュートでラブリーでフワフワなフレンズから一転、グレーアウトした廃墟の実写画像を背にエンディングテーマが流れ始める。なんだこれは。子どもなら泣きかねない。しかもそれらはいずれも閉園したテーマパークの廃墟なのだという。露骨すぎる。泣くぞ。
 また、この「けものフレンズ」は一連のメディアミックスプロジェクト(我らがラブライブ!のような)であり、その中にはスマホのアプリゲームが「あった」らしい。あったというのは、アニメ放送時点でサービスが終了しているというのだ。悲しい。一説によると、アニメのジャパリパークはバーチャルな空間であり、終了したゲーム世界のその未来である、との見方もある。アニメ劇中ではまだ謎になっていることでも、ゲームについて調べれば明らかになるものもあるだろう。ただ、どうやらゲーム版とアニメ版、そしてコミック版との間にもいくつか差異があるらしく、どこまで繋がっているのかを知るには、今後の展開を待たなければならない。
 調べてみるとアプリ版「けものフレンズ」のサービス終了告知には、何らかの形でサービスが再開される可能性を匂わす文言がある。終了は2016年12月のようだが、この時点では既にアニメ制作は始まっているはずで、(今現在話題になっているように)マーケティング効果が非常に高いであろうアニメ放送を待たずに幕を閉じるのは、いささか不自然であると言わざるを得ない。根拠のない想像でしかないが、これらは全てけものフレンズプロジェクトの計算の上で行われているものであり、アニメ放送の完結と同時にその流れを汲む新たな「けものフレンズ」アプリが復活するということも、充分考えられるのではないか。

ナントカとカントカの狭間

 このように、視聴者の立場だからこそ気付く様々なファクターに誘われて、ついつい裏設定や世界観に対する思索を巡らせてしまう。それはさながらかばんちゃんが自身の正体を求めて図書館を目指すように、冒険的でワクワクする楽しいものだ。放送開始直後から「考察班」なる一派が思い思いの仮説と検討を重ねていて、それらを眺めるのもまた面白い。
 にもかかわらず、ふと気が付くとそんな小難しいことはそっちのけでただただ純粋にフレンズたちの愛らしさに心奪われ、かばんちゃんとサーバルちゃんの冒険に胸躍らせている自分がいる。フレンズはどの子も個性的かつ魅力的で、そして一人の例外なく心優しい。性格の違いこそあれ、全員が初対面のかばんちゃんにも快く協力してくれるのだ。なんてやさしい…。
 視聴を続けているうちに表情筋は緩み、思考は散漫になり、なんだかもういろいろどうでもよくなってくる。怖いこと考えるのやめて。この幸せを奪わないで。あの笑顔を曇らせないで。正直こんな堅苦しい文章を取り繕うのもそろそろつらい。こんなアニメ、すごーい!たーのしー!だけで全部説明できるではないか。かんがえるのやめたい。
 かばんちゃんは当初なんの特技もないかと思われたが、長い道程にも負けない「持久力」や、紙ヒコーキを飛ばしたり橋っぽいものを架けたりといった「知恵」という名の特技を発揮していく。既に多くのオタクたちが指摘しているように、フレンズが各々動物の特性を備えている一方、かばんちゃんは「人間」の特性を備えているのである。というかおそらく人間である(人間という動物のフレンズではという説もある)。少し強引な物言いをすれば、考え謎に迫ろうとする視聴態度と、雑念を捨てて楽しさに浸る視聴態度は、「人間」かばんちゃんと「けもの」フレンズのそれである。このアニメを見ていると、内なる人間性とけもの性(?)の間で自我が揺れ動き、なんとも名状し難い妙な気分になるのである。
 
 もちろん、アレコレ考えながら観るのも、ニコニコ無心で観るのも、どちらも同等に立派な楽しみ方だ。ぼくは中途半端なので両方を行ったり来たりして軽く精神分裂しそうな危機に陥っているが、とにかく大変良いアニメだと思う。行く先々で出会うフレンズとかばんちゃんが協力して困難を乗り越える姿は、教科書的な冒険譚としても良くできている。合間に突然挿入されるプロ飼育員の妙に生々しい動物解説も面白い。動物園に行きたい。廃墟がどうの正体がどうのといった謎はこれから明かされるかもしれないし、明かされないかもしれない。どちらにしても、すごくてたのしー彼女たちの旅路から今後も目が離せない。