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けものに愛を

ご存じの通り、我らが『けものフレンズ』のアニメが堂々たる最終話を迎えた。フレンズよありがとう。かばんちゃんとサーバルちゃんに幸あれ。ジャパリパークに光あれ。

けものフレンズ11話放送後、我々テレビの前のフレンズは一週間身を切られるような思いに耐えながら12話を待たねばならなかった。ハッピーエンドを疑っていたわけじゃない。ないが、怖くなかったと言えば嘘になる。
結論から言えば、そんなものは全くの杞憂に終わる。ぼくたちの思いを真正面から受け止め応えきった最終話だったと思う。涙と笑顔、王道を往く友情、勝利、大団円。爽やかなロードムービーにふさわしい新たな旅立ち。丁寧な演出と伏線の回収。信じてよかったたつき監督。ありがとうたつき。フォーエバーたつき。

今まで様々な形で視聴者を驚かせてきたアニメだったからこそ、最後にど真ん中ストレートがぼくたちの心を撃ち抜いたのだ。以前、知性の減退と向上の狭間で揺れているということを書いたが、どんな立場で視聴しようがそんなことは関係なかったのだ。全てを包み込むような包容力溢れる最終話だった。それはまさしくサーバルちゃんのごとく。
見どころは山ほどあるけれど、もはやいちいち述べる必要もなかろうと思う。きりがないので。敢えてひとつだけ挙げるなら、しわしわの紙飛行機がよかった。他にもたくさんたくさんよかった。

結局最終話を迎えてなお、ジャパリパークをめぐる謎はまだほとんど解明されていない。それどころか、「ボク、人でした!」という宣言を経てなお、かばんちゃんの正体は一層不可解になったとすら言える。人気を受けて2期(とハッキリ明言していないところが引っ掛かるけれども)制作が決定したからいいものの、もし知る人ぞ知る隠れた良アニメで終わっていたら、これらは永遠に謎のままだったのだろうか。
「考察班」が様々な推理で伏線や謎を紐解いていく様子は、人気爆発に一役買った。しかし第12話を終えて、そういった考察の余地はあくまでも(良質な)オマケなのではないかと感じた。非常にうまく作られていることは確かで、考察をするのはとても楽しい。けれど、それはけものフレンズへのキッカケのひとつに過ぎず、大事なのはそんなところではないのだ。

 

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考察が捗るのはひとえに作り手のこだわりと技量の高さの表れであるけれども、彼らが作りたいのはそういう小手先のものではないのだと思う。じゃあ何かと聞かれるとぼくの言葉ではうまく説明できないが、インタビューを読めばわかる。愛です。動物への愛。けものフレンズへの愛。
ラブライブもまたそうであったように、覇権(この言い方はなんだかよくわからないが)を取る作品の大きな特徴は、制作者の愛が感じられることだと思う。もちろん、人気が出なかったから愛が無かったというわけではない。

ぼくは動物が好きだ。犬でも猫でも、哺乳類以外でもなんでも可愛い。ずっとペットを飼いたいと思っている。まだ飼ってない理由はただビビッているだけ。出会う前からお別れがつらい。考え過ぎなのかもしれない。もう2年くらいビビり続けている。あと部屋が狭い。
好きな子ができたときの「好き」や音楽や小説を好むときの「好き」とは、どこか違う種類であるように思う。うまく言語化できないけれども、そもそも明確に説明できるようなものでもないかもしれない。けものフレンズにはそういう感情が湧いてくる。動物の話なのだから当然と言えばそうなのだけど。
ほんとの愛はここにあるのである。